翻訳者の皆さん、クラシック音楽の世界にいらっしゃい!

 

 

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クラシック音楽では作曲家がエライ

 

これはクラシック音楽の特徴の1つ。

 

他の音楽ジャンルの場合はこうだろう。

  • 演奏者自身が作曲家(シンガーソングライターなど)
  • 曲は有名だが作曲家や作詞家は一般にはあまり知られていない。でも、歌手の名前は知られている。
  • 誰かが作曲した曲をベースに演奏者がアレンジ
  • 誰かが作曲した曲をベースに演奏者が即興演奏

 

もちろん、どのジャンルでも作曲家は大事な存在。ただ、クラシック音楽以外では、コンサートの主役は主に歌手など演奏する人の方だろう。

 

クラシック音楽の「流れ」のトップにいるのは作曲家。演奏者も大事な存在ではあるが、唯一の主役というわけではない。

 

たとえば、クラシック音楽ファンは作曲家を目当てにコンサートに行くことがある。マーラー作曲の交響曲が演奏されるとき、好きな指揮者やオーケストラだから来たという人もいるが、とにかくマーラーの作品だからという理由でコンサートに行く人もいる。

 

クラシック音楽では、作曲家が聴き手に伝えたかったことを演奏者が解釈し、感じ取り、表現して、聴き手に伝えるという流れになっている。つまり、演奏者の立場は「仲介者」に近い。

 

クラシック音楽でも自分で作曲した作品を自分で演奏する場合もある。だが、他の人が作曲した作品を演奏することの方が圧倒的に多い。作曲家の多くは故人であり、直接指導を受けることはできない。演奏者は、自主的に研究して作品の理解を深めるしかない。

 

それでは、研究の結果として、クラシック音楽の演奏者はみんな似たような演奏をするのか?

 

いや、そういうことはない。なぜなら、同じ曲の同じ楽譜を見ても、同じ資料を入手しても、演奏者それぞれ理解の仕方や感じ方に違いがあるから。表現力や演奏技術にも個人差がある。曲や作曲家に関する情報が不十分な場合は、演奏者は想像力を発揮して音楽を再現する。ますます演奏者それぞれの違いは大きくなる。だから、実際の演奏は一人ひとり異なる。

 

それって、10人翻訳者がいれば、10種類の翻訳が生まれるというのと似ている。

 

 

演奏者と翻訳者  (似てる?)

 

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スズキは本業でビジネス翻訳をやっている。主に英訳(日本語から英語)を担当している。

 

翻訳のポイントは業界や会社、文書の種類や目的によっても違う。翻訳に対する考え方も人それぞれだろう。これから述べることは、わたしの個人的な考え方として聞いていただきたい。

 

わたしは、翻訳者の立場とクラシック音楽の演奏者の立場は似ていると思っている。どちらも「仲介者」である。

 

少し話が反れるが、流れのトップにいる作曲家と翻訳の原文作成者を一緒にするのは、かなり無理がある。楽譜を研究すればするほど作曲家が天才であることを感じるのだろう。そうしてますます作曲家を尊敬し、愛するようになるのだろう。それとは逆に、残念ながら、ビジネス翻訳における日本語の原文は読み込めば読み込むほど原文の出来がイマイチであると感じてしまう場合がある。

 

また、日本語と英語は言語的に遠いのでスムーズに訳せないことがある。文化的にも遠いので、文字通り訳すと非常に分かりにくかったり、誤解を生んだり、本来の意図が伝わらない場合がある。

 

少し愚痴になってしまうが、グローバル化というのは、日本人向けに書いた日本語の文書を「翻訳さん」に「翻訳お願いします」と言うだけで完了するのではない。

 

読み手は誰か、作成の目的は何か、読み手は事前に何を知っていて、どんな情報を求めているのか、文書は要点がまとまっているか、読みやすいか、論理的な内容か、情報に過不足はないか、ストーリーがあるか、説得力があるか。考えるべきことはいろいろある。依頼者と翻訳者で情報や目的を共有していることが望ましい。

 

皮肉やジョークをどう訳すかという問題も頭が痛い。文化的なタブーやマナーの考慮。調査力と想像力を総動員して対応する。翻訳者に求められるのは文法知識や語彙の豊富さだけではない。異文化理解とセンスも必要。それから調査力も大事。

 

翻訳など、機械作業のような簡単な仕事だと思われてしまうこともあるが、実際はストレスを伴うクリエイティブな仕事である。

 

クラシック音楽の演奏者と、翻訳者の仕事は似ている。 

 

演奏者は、演奏技術や音楽理論(楽典)だけではなく、あらゆることを調べたり、想像したり、センスを生かして演奏に取り組む。作曲家と聴衆の間には時代、地域、文化、社会の隔たりがある。その違いをどう理解し、どう取り扱うかは、仲介者である演奏者次第。

 

わたしは別に、尊敬する演奏者たちに気軽に「わたしたち同じだね!」なんて言うつもりはない。恐れ多い。ただ「似ている部分がある」と言うぐらいは許されるはず。

 

では、演奏者も翻訳者と同じように仲介者としてのストレスを感じているか?

 

それは人それぞれなのだろう。わたしはプロの演奏者ではないので本当のところは分からない。でも、真剣に作曲家や作品を理解して、真剣にそれを聴き手に伝えたいと思うなら、その難しさを実感しているなら、やはりある程度の苦悩は感じているはず・・・と翻訳者スズキは思う。

 

作曲家から聴き手まで、上手く「流れ」を通すことができたとき、演奏者は快感と達成感を噛み締めるのでは?それは翻訳者の快感や達成感とも近いのでは?

 

ベートーヴェンを「通訳」する?

そういえば、欧米ではクラシック音楽の曲をプロが演奏するとき、「通訳する」という言葉を使うことがある。たとえば、コンサートのチラシやCDの宣伝にこう書かれている。

 

Suzuki interprets Beethoven

 

そのまま直訳して「スズキがベートーヴェンを通訳する」なんてチラシに書いてしまったら、違和感がある。日本語ではあまりそのような表現はしない。おそらく、日本語はこうなるだろう。

 

「スズキがベートーヴェンを演奏する」

「スズキがベートーヴェンを弾く」

 

 

「通訳する」に近い表現としては、こう書くことができる。

「スズキがベートーヴェンを解釈する」

 

演奏者はやはり「仲介者」と言える。 

 

伝えるために

 

研究や分析という言葉に違和感を覚える人もいるかもしれない。音楽は芸術なのだから、感性こそが大切だというご意見もごもっとも。

 

確かに、例えば鋭い感性を持つピアニストはカッコイイ。それは才能であり、才能ある演奏者は人気も高い。また、演奏者の感性や直感を簡単に引き出せる作品を作曲した作曲家も素晴らしい。間違いなく天才だ。

 

ただ、クラシック音楽をクラシック音楽たらしめているものは研究や分析なのだとわたしは思う。この音楽は、テクニックとフィーリングだけでは完成しない。

 

演奏者が自分自身の魅力をアピールするために作曲家の作品を利用しているという構図はわたしの好みではない。作曲家や作品の魅力を伝えてくれる演奏者こそ、わたしの中ではヒーローなのだ。

 

では、聴き手あるいは読み手に何かを伝えるために、仲介者はどうすれば良いのか。

 

演奏者の場合

  1. 曲を分析し、理解し、作曲家が伝えたかったことを読み解く
  • 楽譜を丁寧に読み込む
  • 楽譜に関する情報を集める(自筆譜、初版、編集版・・・)
  • 他の演奏者や研究者による解釈を調べる(録音、生演奏、著書、インタビュー記事・・・)
  • 作曲家について調べる(人生、他の作品、影響を与えた師、仲間、家族・・・)
  • 時代背景について調べる(戦争、政治、文学、哲学、宗教・・・)

 

  1. 聴き手に伝わる演奏を目指す
  • 聴衆は誰か。文化的背景、年齢層、思想、クラシック音楽への興味。
  • 聴き手は何を知っているのか、何を知らないのか、何を求めているのか。
  • 演奏の目的は何か。
  • 演奏に必要なテクニックを持っているか。新たに習得する必要があるか。

 

  1. 補足的に何か必要か?(演奏以外の工夫)
  • プログラムの解説を書く。CDの解説を書く。
  • 演奏直前に口頭で解説する。
  • 記事や本を執筆する。インタビューを受ける。

 

演奏だけで伝えることが大事なのだろうか?そういう意見も多いだろう。でも、その曲が作曲された時代は今現在の時代とは違うし、我々日本の聴衆にとってヨーロッパは遠くの異文化である。賛否両論あるだろうが、わたしは、演奏以外の面で何か工夫をすることは良いことだと思う。

 

翻訳者の場合

  1. 原文をよく理解し、目的を理解する
  • ビジネス翻訳なら、その業界(医療医薬、金融、特許、会計財務、ITなど)に関する知識を学ぶ。文書の内容を把握すると共に、業界内で使われている単語・表現を確認する。
  • 原文作成者または依頼者とコミュニケーションを取り、文書の目的や背景を把握する。

 

  1. 読み手に伝わる翻訳を目指す
  • 読み手を分析する。誰に向けた文書か。読み手に相応しい表現。
  • 読み手の立場で読んで理解できるか。目的を達成できるか。

 

  1. 補足的に何か必要か?(翻訳そのもの以外の工夫)
  • 文字の大きさ、フォント、位置、スペースなど、体裁を最適化する
  • 補足説明が必要と思われる場合はその旨を依頼者に伝える。(簡単なものなら翻訳者側で作成して添える。)

 

ある言語から別の言語へ置き換えることだけが翻訳者の仕事だという考え方もある。わたしは、より的確に内容を伝えるために必要であれば雑務的なことも自分から進んでやる翻訳者だが、体裁を整えるなんて翻訳者の仕事ではないと言って拒む翻訳者もいる。

 

わたしは、難曲を丁寧によく分析した上で聴き手にストレートに伝わる演奏をしたり、シンプルな曲を深いニュアンスとともに演奏したりできるピアニストを尊敬する。いずれも曲を徹底的に分析して理解を深めた結果だと思う。

 

翻訳にも似たようなことが言える。複雑な文書を読み手がスムーズに理解できるように翻訳し、簡潔な文書を読み手にストレートに伝えつつ、印象に残るように翻訳できる翻訳者を尊敬するし、そんな翻訳者でありたい。

 

 

まだ人工知能AIには負けない

上記1. 2. 3. の作業に必要となる演奏者と翻訳者に共通する能力は何か。

  • 基礎的な知識、テクニック
  • 背景や文化を知ろうとする好奇心、調査力
  • 細かいニュアンスを感じ取る繊細さ、想像力、感性
  • それらの能力を適切に演奏や仕事に反映させる応用力
  • 自分の演奏や仕事を客観的に判断する能力、必要に応じて調整する能力

そうして、最終的には他人の心に何かを伝える。人間の心理に迫る作業はAIではまだ不可能な分野だと思う。

 

本当は、翻訳など文法ルールをシステムにぶちこめば機械的にできる。Google翻訳のように。楽器演奏も情報をインプットすれば自動演奏ができたり電子音で演奏できたりする。

 

でも、作品の本来の魅力や情熱を確実に誰かに伝えるためには、クラシック音楽においては人の手が必要であることは、ここまでの議論からも明らかだろう。この先AIがますます台頭してきたとしても、クラシック音楽ファンが自動演奏やシステム通りに鳴るだけの電子音で満足するとは思えない。それは我々の欲求を満たしてくれない。

 

翻訳に関して言えば、事情はクラシック音楽とは違う。いずれやはりAIが主流になるのだろう。ただ、もし何か物凄い魅力や情熱を伝えるための翻訳の場合は、あるいは難しい交渉を合意に導くための説得力を要する文書の翻訳である場合は、未来においても、その翻訳は人の手でやることになるだろう。翻訳者はそれに対応できる高度な能力を身に付けなければいけない。

 

翻訳者は調べ物が好き

クラシック音楽では「楽譜が大事。大事なことはすべて楽譜に書いてある」と言う。しかし、楽譜を見て、そこに書かれている「何か」に気付くためには、楽譜には書かれていない部分についてどれだけ知っているかということが関わってくる。

 

翻訳でも、原文に忠実なだけの翻訳は直訳に近い翻訳に留まり、本来の意図が伝わりにくい文章になってしまったり、場合によっては全然伝わらなかったりする。関連することを調べて、理解した上で、翻訳すると良い。だから、翻訳において調査力は重要である。翻訳者はたいてい調べ物が好きなのだ。そうでないとこの仕事は務まらない。

 

翻訳者の皆さん、アナタが好きなのは語学の中の文法等の仕組みの部分だけではないはず。

 

その言語が使われている地域文化にも興味があるのでは?さらには、メディカル翻訳の仕事を通じて医薬品に興味を持ったとか?IT翻訳の仕事を通じて調べているうちにシステムに興味を持ったとか?

 

好奇心旺盛で調べ物が好きなアナタは、クラシック音楽の世界をおもしろいと思うかもしれない。研究と分析が好きな人にとって、クラシック音楽は興味の宝庫。幸か不幸か、このクラシック音楽研究には終わりがない。やればやる程、深くのめり込む。さらに調べることが増えてしまう。時間が足りなくなる。(ハマってしまってもスズキは責任とりません。) 

 

 

翻訳者は語学が好き

翻訳者の皆さん、これまでに勉強した言語の数はいくつですか?

 

翻訳者とは言え、担当言語以外の言語に興味を持たない人もいる。だが、ついつい他の言語にも手を伸ばしてしまう人も多いのでは?そういう方は、ますますクラシック音楽に向いていると思う。語学が得意だと、クラシック音楽鑑賞で便利な点がいくつかある。

 

まず、歌曲やオペラにおける語学の重要性。字幕や対訳があるからそれで十分という意見もあるが、翻訳者スズキはそうは思わない。言葉の持つ雰囲気は歌の重要な要素。和訳されたものを読んだだけでは、言葉が持つ本来のパワーや魅力の一部しか伝わらない。言葉の背景にはいつも文化や歴史があることを、好奇心旺盛な翻訳者は知っているはず。

 

わたしは10年ぐらい前まで自分に必要な外国語は英語だけだと思っていたが、クラシック音楽を聴くようになると、いつの間にかフランス語、ドイツ語、イタリア語、そしてロシア語にまで手を出してしまった。

 

クラシック音楽が好きだから、もっとクラシック音楽を知り、もっとヨーロッパ文化を理解して、もっとこの世界に浸るために、語学を勉強することにした。「音楽に言葉は関係ない」「音楽に言葉の壁はない」という意見もあるが、わたしはその意見には賛成できない。

 

クラシック音楽は日本人にとっては異文化であり、異文化を味わうには、一手間も二手間もかかって当然だとスズキは思う。その手間の1つが語学である。言語は文化と密接に繋がっている。新しい言語を知るというのは新しい世界・新しい価値観を知るということ。わくわくすること。

 

言語に関心があり、学んでいく気力と能力があるアナタは、日本語しか使えない人々より多くの情報を手に入れられるので、クラシック音楽の情報を収集するときに都合が良い。

 

外国語で書かれた音楽関係の本や雑誌、または外国語によるインタビュー音源などを自分で理解できるなら、入手できる情報も広がる。プロの演奏者によるマスタークラス(音大生の指導など)の動画も楽しめる。

 

海外演奏家の来日公演のサイン会などで演奏者と直接会話できるかもしれない。英語でも良いのだが、相手の母語で話すのも良い。(でも、実際は緊張してあまり話せない。時間も限られているし。)もしその言語がマイナー言語だったら、きっと相手も驚くし、喜んでもらえる。(語学好きはこういう瞬間が結構うれしい。)

 

歌曲やオペラを実際に歌ってみるのも楽しい。完璧ではなくても、本来の発音に近い発音で歌えるとそれなりに快感だ。それに、何となく歌うより、ある程度まで意味を理解して歌えるほうが気持ちいい。歌いながら言語の理解が深まり、その言語独特のリズム感も身に付く。

 

そうしているうちに、いずれ音楽を求めてヨーロッパを旅することもあるかもしれない。旅するとき、英語力は役に立つ。だが、ヨーロッパならどこでも英語が通じるなどとは思わないほうが良い。特定の観光地以外では現地語が主流というのは、日本に限ったことではない。バッハが活躍した教会があるドイツのライプツィヒは音楽愛好家が好む訪問地の1つだが、わたしが行ったときは、現地でのやりとりのほとんどがドイツ語だった。

 

クラシック音楽を追いかけていると、そのまま、ゲーテやシラーなどドイツ歌曲の詩人に惹かれてしまう可能性もある。

 

どんどん興味範囲が広く深くなっていくのを止められないだろう。

 

どう?

わくわくする?

もし、わくわくするなら、遠慮することはない。

ようこそ、クラシック音楽の世界へ。

 

クラシック音楽普及(布教?)委員会

音楽普及係 スズキ

 

 

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翻訳者の皆さんにクラシック音楽の世界に興味を持ってもらおうと思って「誘惑」してみたのだが結果は?

 

うーん、まだ押しが足りないか?

 

わたしがクラシック音楽を聴くようになったのは、初めて専任翻訳者として雇用されたときだった。

 

つまり、わたしのクラシック音楽鑑賞年数と翻訳年数は同じ。ついつい翻訳とクラシック音楽を結びつけてしまうのは、そのせいなのかもしれない。

 

スズキの孤独な音楽普及活動は続く。

 

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