ピアニスト ヘルベルト・シュフ わたしの「三大ピアニスト」の1人

Herbert Schuch 
1979年、ルーマニアのティミショアラに生まれる 

 

最初に断っておくが、かなり脱線する。音楽から遠ざかってしまっても、この分野に興味関心をお持ちの方であれば楽しんでもらえると思う。

 

わたしの旧ブログを読んだライターの方に「スズキさんにオススメのピアニスト」として紹介してもらったとき、この動画のリンクが添えられていた。

 

どこかで見た名前だと思った。そうだ、オーストリアの音楽祭シューベルティアーデのパンフレットで見たことがある。ドイツのピアニストだと思っていた。少し調べてみることにした。そして予想に反してルーマニア出身と言うことを知って大きな疑問が浮かんだ。なぜドイツ人がルーマニアに?1988年にはシュフ一家はドイツに移り住んだという。いったい何があったのか?

 

こうして、日本の学校の歴史教科書には載っていない歴史を紐解くことになった。

 

数百年にわたり東欧の各都市には一定数のドイツ系住民が住んでいた。古い時代には多数派の現地民族より少数派のドイツ系が権力を持っていた。東欧の街並みがドイツ風なのは地理的に近いからではない。ドイツ系移民がもたらした文化や技術が反映された結果なのだ。

 

注意深く情報を読めばそのようなことは当然知っているはずだった。言われてみれば、クラシック音楽関連でもそのような話を聞いたことがあった。作曲家のフランツ・リストは祖国ハンガリーを大事にしていたが、血筋はドイツ系でハンガリー語を話すことはできなかったという。チェコの作曲家レオシュ・ヤナーチェクのピアノソナタもチェコ語で学べる大学の設立を求めたデモの犠牲者を偲んで作曲された。当時のチェコではドイツ語による教育が主流だった。そういう環境だったから、いわゆる国民楽派という音楽ジャンルが花開いた。音楽以外の分野でも、ユダヤ系のフランツ・カフカはドイツ文学の文豪なのだが出身はチェコのプラハだったというように、東欧とドイツは微妙な関係だった。

 

断片的に何かを知っていたとしても、それでは全体像を理解できない。だから、わたしの中ではドイツとルーマニアが繋がらなかった。ハンガリーのフランツ・リストのことか何か思い浮かんだとしても、それは遠い昔の話としてしか認識できなかった。そもそもルーマニアという国について無知すぎた。少しずつ謎を解いていった。

 

ティミショアラ

ヘルベルト・シュフが生まれたティミショアラはルーマニアの西端に位置する都市。いまはルーマニアだが過去にはハンガリーやオスマン・トルコ、あるいはハプスブルク帝国だった。住民もセルビア人が多い時代があったり、ドイツ人、イタリア人、スペイン人が移住してきた時代もあったり、むかしから多民族都市だったらしい。ウィキペディアによると現在の人口は87%がルーマニア人となっている。

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1989年12月のルーマニア革命はティミショアラで始まった。警察が介入して死傷者も出た。それから首都ブカレストで爆発事件があり、チャウシェスク政権は崩壊。独裁者チャウシェスクと妻は公開処刑となった。ヘルベルト・シュフ一家がドイツに移住したのはこの前の年だった。

革命後もルーマニアは困難が続いた。革命前の方が「まだましだった」と言う意見さえあった。そんなルーマニアも近年は経済発展が好調に進んでいると聞く。

 

バナト・シュヴァーベン人

バナト(あるいはバナート)はティミショアラを中心都市とした広い歴史・文化的な地域を指す。島国日本人には分かりにくいかもしれないが、世界の多くの土地で、国の境目と歴史・文化的な地域の境目というのは異なる。バナトは現在の国名で言うとルーマニア、セルビア、ハンガリーに跨るエリアである。

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(ウィキペディアより)

 

バナトは古くから多民族の地域だった。ウィキペディアによると、バナト地域に暮らした人々は次の通り:セルビア人、ルーマニア人、ハンガリー人、ロマ人、バナト・シュヴァーベン人(ドイツ人)、南スラブ系(クロアチア人)、スロヴァキア人、バナト・ブルガリア人、チェコ人。

 

18世紀頃、ドイツの南西部に住む人々は東欧各地に移り住んだ。その一部がバナトにもやってきた。ドイツ南西部に住むドイツ系民族をシュヴァーベン人という。ドイツ人の中でも勤勉でケチで、お隣のバイエルンの陽気なドイツ人とは気質が違うと言われている。もちろんこの性格はステレオタイプなので実際のところどうなのかについては、わたしは知らない。

 

ルーマニアには他にもトランシルヴァニア地域に住むトランシルヴァニア・ザクセン人というドイツ系移民がいた。ちなみにトランシルヴァニア地域はハンガリーの一部だったこともある。ハンガリーの作曲家バルトークがルーマニア民族舞曲を作曲した頃、トランシルヴァニアはハンガリーの領土だった。

 

以上が、ヘルベルト・シュフに関する情報を探していたときに見つけた「ドナウ・シュヴァーベン人」というキーワードを元に調べたこと。「ドナウ」はドナウ川周辺に移り住んだということなのだが、「ドナウ」は「バナト」を含む広い地域であるとわたしは解釈した。ヘルベルト・シュフの一家は「バナト・シュヴァーベン人」と理解して良いと思う。

 

ヘルベルト・シュフは、過去のCDのプロフィールによると「ドイツとハンガリーの血筋」と書かれていることもあるのだが、本人の発言等から察するに自身のアイデンティティーは「ルーマニア人」や「ハンガリー系」というより、はっきりと「ドイツ人」という認識なのだろう。

 

ヘルタ・ミュラー著 小説「狙われたキツネ」

ルーマニアの都市ティミショアラ出身のドイツ系(バナト・シュヴァーベン人)でノーベル賞作家のヘルタ・ミュラーを知った。図書館で本を借りて読んでみた。舞台は1989年のチャウシェスク独裁政権末期のティミショアラ。訳者による「あとがき」も含めて、読んで絶句した。まるで北朝鮮のような社会に思えた。特権階級は豊かに暮らしていたが、庶民の暮らすところでは栄養失調の子どもがいたり、人々は感情を押し殺してビクビクしていた。それでも毎日みんな何とか生きている。

 小説「狙われたキツネ」(画像をクリック)

 

そんな独裁政権末期の悲惨な状況とピアニストを結びつけて考えるのは間違っているのかもしれない。少し悩んでしまう。どう捉えれば良いのだろうか。昔の話と言っても、ヘルベルト・シュフはわたしとほぼ同世代のピアニストであり、彼自身は当時小学生だったので何かしら記憶に残っているはず。

ルーマニアのティミショアラで、1980年代を30代の女性として過ごしたヘルタ・ミュラーと、幼い少年として過ごしたヘルベルト・シュフとの間では、感じていたものも違うのだろうし、置かれていた状況も違ったのだろう。

ミュラーは秘密警察に目を付けられていて、本の出版も禁止され、シュフ一家より早い1987年にドイツに移住した。

シュフはルーマニアにいた頃からピアノを習っていて、以前動画で写真を見たことがあるが、普通に幸せそうに暮らす少年に見えた。独裁政権下で少数民族であるドイツ系が裕福な暮らしをしていたとは思えないが、酷い生活でもなかったのだろう。

東欧のドイツ系住民の一部は第2次世界大戦後にドイツに帰国した。ミュラーやシュフのような1980年代にルーマニアに残っていたドイツ系住民の多くは、ルーマニア革命の前後にドイツに戻った。今現在ルーマニアに住んでいるドイツ系はごく僅かとなっている。

 

ヘルベルト・シュフとルーマニア

ルーマニアに対して、彼は複雑な想いを抱いているのではないかと、わたしは勝手に思っている。生まれ故郷の国に関して「好き」という感情も「嫌い」という感情も見せていない。中立的な立場で発言しているように見える。ドイツ移住後もティミショアラは何度も訪れたらしいが、首都ブカレストには行ったこともないとか、読んだような気がする。(記憶が曖昧。違うかもしれない。) あるインタビューではルーマニアの作曲家ジョルジュ・エネスクについて訊かれて、「自分にルーマニアの作曲家を推す義務はない」としながらもエネスクのヴァイオリンソナタ第3番は美しい曲だと述べている。

 

彼はルーマニアよりドイツ文化に親しみを感じている人間なのだろうけど、民族というものに関心があり、ある程度意識して音楽に取り組んでいることは選曲からも伺える。前述のヤナーチェクのピアノソナタ「1905年10月1日の街角で」や、収容所で命を落としたユダヤ系作曲家ヴィクトル・ウルマンのピアノ協奏曲をCDに録音している。また、彼が好んでフランツ・リストをよく弾くのは、自分と同じように東欧に生まれたドイツ系の音楽家として親近感を抱いているからなのでは、とわたしは思う。

 

ヘルベルト・シュフに対しては、何かもっと突っ込んで発言してもらいたいと思う気持ちと、嫌なら何も言わなくていいという気持ちが、わたしの中で混在している。

 

彼がルーマニアについてほとんど語らないつもりであっても、彼がきっかけでわたしはルーマニアという国に非常に興味を持った。

 

ルーマニアは、まさに文化の混じるところ。異文化が交じり合う土地のゾクゾク感がわたしは好きだ。音楽に長けたロマ人も住んでいる。どこかの村で本物のロマ音楽を体験したい。東欧唯一のラテン国(ルーマニア語はラテン系ロマンス語)としての陽気さ、対立や争いや昔の独裁国家から来る暗さ、苦しみを黙って受け入れるどこか諦めモードな民族性が見られる羊のミオリッツァなどの抒情詩。

 

調べれば調べるほどに面白くて、ルーマニアという国との出会いは運命なのかもしれないと一時期思っていたほど。未だに訪問できていないが、いつかルーマニアにも行ってみたい。ブラショフ、シギショアラなどの美しい街もいつか訪れてみたい。

 

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さて、そろそろ音楽に話を戻そう。

シューマン&ラヴェル

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最初に聴いたCDは図書館で借りたシューマンとラヴェルだった。すぐに「クライスレリアーナ」に魂を持っていかれてしまい、久し振りに楽譜を取り出して弾いてしまった。たどたどしく、何かに憑かれたように弾いてみた。CD録音時はコンクール直後の二十代半ばの若者だったはずなのだが、これほどわたしに影響を与えるとは。なんという引力だろう。ブックレットのインタビューが興味深い。手元にないので詳細はもう忘れてしまったが、ルーマニアのことについても答えている。

夜曲 シューマン 他

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ツェムリンスキー、シューベルト、ブラームス

ヴァイオリン&ピアノ

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すぐにCDを2つ買った。ヴァイオリン奏者ミリアム・コンツェンとのCDも素晴らしい。ピアノもヴァイオリンも力強く美しい。大袈裟ではないのに物凄く印象的。ヴァイオリニストのコンツェンも初めて知ったがとても気に入った。来日があればぜひ聴きたい。

 

シューマンの4つの夜曲で始まるNachtstücke (夜曲) CDは衝撃だった。静かに始まり、繰り返される「シ♭ ・ラ・ソ・ファ・ミ」の絶妙な盛り上げ方。つまり、最後の1回の、あの神経を集中させた渾身の音作りが非常に効果的。

 

続くハインツ・ホリガー作曲の現代曲は内部奏法(直接ピアノの弦を触って音を出したり)を含むのだが、シュフさんはそういうのも上手い。

 

スクリャービン「黒ミサ」ラヴェル「夜のガスパール」で容赦なく聴き手の領域に踏み込んで来た後で、最後に慰めるようにモーツァルトの「アダージョ」ロ短調KV540を弾くというのが許せないほど憎い(←褒め言葉)。この「アダージョ」に夢中になり、わたしも熱心に弾いてしまった。わたしがイメージするモーツァルトにぴったりな冷たく暗い曲想。

 

さらには、CDの冊子で知ったジャック・カロ(1592年~1635年 フランス)の版画が目を奪う。ドラゴンボールの世界のようにも見える部分もある。冊子のインタビューも要注目。

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(ウィキペディアより Burlesque Violinist by Jacques Callot 1592-1635)

 

最初にライターの方に紹介してもらったときに教えていただいた動画のCD「憧れのワルツ」も買った。

「憧れのワルツ」シューマン 他

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これもテーマ曲を自分で弾いてみたりもしたのだが、何より「謝肉祭」の「スフィンクス」の部分が恐くてCDを聴きながら正座して固まってしまった。なぜか今でもiPodには入れていない。なんだかコワイので。

 

Invocation「祈り」というテーマのCDはとてもオススメ。わたしもこの中から気に入った曲をいくつか弾いた。中でも、バッハのカンタータのピアノ独奏版を知ったことから、わたしはバッハの宗教カンタータに興味を持つようになった。下の動画でシュフさんは「自分は全然宗教的な人間ではないのだが」と前置きしているが、そんな人が録音したCDに影響を受けて宗教カンタータを聴くようになった人がいるということをお知らせしたい。


Herbert Schuch: INVOCATION

Invocation バッハ、リスト 他

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下のシューベルトCDも気に入っている。やはり、ソナタ4番と18番は楽譜を買って自分でも弾いたのだが、聴き所はシューベルトだけでない。前後に置かれたヘルムート・ラッヘンマンの曲、特に最後の曲が上手すぎる。背筋が凍りつくぐらい刺激的。わたしは現代曲に詳しい人間ではないのだが、ヘルベルト・シュフが弾くなら喜んで聴く。(でも自分では弾かない。) 

シューベルト、ラッヘンマン

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調べても調べても来日の予定がない。スズキは決断した。ヨーロッパまで聴きに行こう。オーストリアの音楽祭シューベルティアーデなら1度行ったことがあるから安心だ。しかもヘルベルト・シュフが弾くプログラムはオール・シューベルト。行くしかない。

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これだけ好きになった。

あっという間に夢中になって、1年後にはヨーロッパまで聴きに行った。

 

こんなに自分の好みに合うピアニストの名前を挙げてくれたライターさんの能力は凄すぎる。

来日するピアニストなら自分でも探せたかもしれないが、来日が少ないピアニストの場合、生演奏を中心に楽しむわたしには探せなかっただろう。来日したとしても、東京はコンサートが多い。情報過多で見逃す可能性もある。

「オススメのピアニストいますか?」と聞いても、普通は自分の好きなピアニストを他人に押し付けるか、よく知られた有名ピアニストを薦めるだけ。

活動しているピアニストは世界中に山ほどいる。その中から、これほどピッタリ興味に合うピアニストを選んでくれるなんて、凄いとしか言いようがない。とても感謝している。これからもこのピアニストの活動に注目したい。

 

プロの音楽関係者であれば、これぐらい、お客さん一人ひとりにマッチした提案ができて欲しい。大衆向けの無難な情報はもういらない。

  

来日情報

わたしの知る限り、しばらく来日はなさそう(涙)

 

シュフさんの奥さんはトルコ出身のピアニストで、シュフさんは奥さんとトルコという国を大事にしている。それはそれでいいのだが、もし奥さんが日本人なら・・・日本での演奏機会も増えたのではと、自分に都合の良い勝手なことを思ってしまう。ぐすん。

 

また、残念な点がもう1つ。Invocation CDの後、レーベルが事実上の倒産(?)のため、新しいソロCDの制作が出来ない状況にある。CDから大いに影響を受けた人間としては、早く次のCDを聴きたいのに。

 

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