ジョージア(グルジア)映画「祈り」三部作を観てきた

 


「祈り 三部作」予告編

 

8月最後の日、銀座の小さな映画館でフジコ・ヘミングの映画を観たとき、都内の別の映画館で上映されていたジョージア映画のポスターを発見してしまった。

コーカサスの国ジョージア。その国を、今でもわたしはグルジアと呼びたい。いつか旅してみたい場所。

 

東京の岩波ホールでの上映最終日の前日に観た。3作品を1日で。重かった。ムラ社会の暗黒さが、日本社会とそっくりだと思うと、またもや生きていく気力を失ってしまいそうだ。

映画が制作されたのはいずれも旧ソ連時代。表現の自由が制限されていた時代に命の危険を知りながら、社会を批判する映画を作ろうとした人々がいたということが唯一の救い。

国の歴史の残酷な部分から逃げずに、はっきり映像に記録しながらも、思いっきり笑わせてくれるユーモアまで混ぜ込んでしまう。「あっぱれ」と言いたくなるセンスに実は親近感を抱いた。

わたしはいつかグルジアを旅したいとは思うが、今のところ住みたいとは思っていない。でも、グルジアの人々とは仲良くなれそうな予感。

 

鑑賞した三作品はテンギズ・アブラゼ監督 (1924 – 1994) の作品

「祈り」1967年

「希望の樹」1976年

「懺悔」1984年

www.zaziefilms.com

 

 クラシック音楽も聴こえてきた。

 

以下はネタばれになってしまうので、読みたい人だけどうぞ。

 

 

 

 

 

「祈り」

19世紀の詩人ヴァジャ・プシャヴェラの叙事詩がベースになっている。

一部セリフもあるのだが、大部分が詩の朗読に映像が付いているだけで、内容が分かりにくい。どのような内容なのか、分かりやすく解説するのも難しい。

それでも、必ずハッとする部分があるから、じっと観つづけて欲しい。

舞台はグルジア北東部の山奥の村々。時代は分からない。キリスト教徒の村とイスラム教徒の村の悲しい殺し合い。報復が報復を呼ぶ。

2つのストーリーが記憶に残る。

1つめ。

ある村では、戦いに勝ったら死体から右腕を切り落として持ち帰るという決まりがあった。ところが、ある男は、殺した相手の立派な戦いぶりを想い、その場に丁寧に死体を葬り、右腕を切り落とさずに村に戻った。

村人たちは、男の報告を受け、「おまえは戦わずに相手から逃げたのだろう」と迫る。すべての村人たちが男を非難した。右腕を切り落とすという決まりを破った男は、一家全員が村から追放されてしまった。

2つめ。

その男は、雪の山の中で知り合った男を客として家に連れ帰った。ところが、客の男は村の敵だった。多くの村人が彼に殺された。村人たちは家に押しかけ、客の男を縛り上げてしまった。

「解放してやれ。客として迎えたのだから、今日だけは客としてもてなす」と家主は訴えたが、村人たちは聞き入れない。それどころか、家主まで縛り上げて軒下に放置した。客の男は遠く離れた墓場まで連行されて処刑された。

家主の妻は、その様子を遠くから見て泣いていた。死んでいく男を愛した、会ったこともない異教徒の女を想い。村人たちが現場を去ってから、家主の妻は男の死体の傍まで駆け寄って泣いた。

村の入り口まで戻ったとき、家主の男(?)(たぶん・・・でも違うかも?誰?)が待っていた。妻に声をかける。「泣いてきたのか。よいことをした。女はそれが似合う。」

 

どちらのストーリーも、個人の良心は、村という集団のルールに潰されてしまった。心に従ってとった行動が、さらなる悲しみをもたらした。

これは、現代ではもう見られない古い時代の社会だと思うか?みんなを守るために、1人や2人の個人を犠牲にすることが正しいことであるなんていう思想は、現代も生き続けている。日本の学校でも会社でも。

2つめのストーリーの最後の場面で男が言うセリフを聞いて、涙目になってしまった。本当は、彼が言いたい事は、そんなサラリとしたことではなかったはず。でも、そう言って感情を殺して言葉を飲み込んで耐えるしかない村なのだ。

 

映画内の音楽が、気合いが入ったクラシック音楽だった。音楽担当者の名前はノダール・ガブニア Nodar Gabunia (1933-2000) となっている。調べてみたらグルジア出身の作曲家でピアニストだったとのこと。作曲はハチャトリアンに師事し、ピアノはゴリデンヴェイゼルに師事した。

YouTubeで見つけた、この作品が面白い。(内容は全然わからないけど)


Nodar Gabunia - The Fable (original version, 1964)

Fableなので、子ども向け例え話の物語らしいのだが・・・ 歌声の発声が、やはり山岳地方という感じがする。

 

「希望の樹」

1作目より明るく平和な雰囲気で始まるのだが、やるせない結末。

ロシア革命前夜ということなので1917年より少し前。村にはイタイ感じのオトナが数人。村の子どもたちを集めて「カクメイがやってくる!」と説くオジサン、ジョージアという国のレキシとイダイさを説くオジサン、胸元を強調した服で村の男たちをドキドキさせるお姉さん、白塗りの肌とボロボロの衣装でフランス人形みたいな雰囲気を出そうと懸命なオバサン・・・などなど。

あれれ?若い男女の物語じゃなかったの?このドタバタ劇は何だ?

やがてヒロインの若い娘は祖母と村長の意向で、安定した生活と村の繁栄のために、金持ちの男と無理やり結婚させられる。

結婚式の場面が美しい。緑の丘の上に石造りの教会と白い羊の群れ。背後には青い巨大山脈。花嫁は不幸のドン底なのに、素晴らしすぎる風景。

愛し合っていた男との密会を知られた女は、村人たちに捕らえられ、死ぬまで外で晒し者にされた。村の掟を破った恥ずかしい人間として、村人たちからドロを投げつけられた。酷い・・・(涙)

のんきに笑いながら暮らす普通の村人たちに見えたのに、ターゲットが決まった途端に団結して攻撃するなんて・・・ 少女のような若い女が死ぬまで。

冒頭でバカ騒ぎをやっていたイタイ感じのオトナたちのうちの数人だけが、処刑を止めさせようとした。それぞれ木の棒をもって「何てことするんだ!!やめろ!このやろう!」と。カッコよかった(涙) 村でバカにされていた人たちは、命を尊重できるマトモな人間だった。

でも彼らは1人だった。3人ぐらいで束になって抗議しても無理だったのだろう。多くの村人が処刑を「当然」支持していた。多数派が正義という世の中。

集団のために個人を犠牲にする。そうやって人類は生き長らえてきた。存続するために本当に必要な犠牲だったのだろうか?人間であることを恨みたくなる。

おかしなオトナたちのバカ騒ぎに笑ったり、絶景に心を奪われたり、人間の醜さを再認識したり・・・精神的に疲れてしまう作品だった(笑) 

 

「懺悔」

市長さんのモデルはスターリン、ヒトラー、ムッソリーニなど。役者は、いかにもなチョビ髭の太った男。すぐ彼が市長役だとわかる。

長年にわたり大活躍した市長が死去した。だが、何者かが墓から死体を掘り出し、市長の息子夫婦と孫が暮らす家の庭に死体を放置した。死んだ市長は何度も庭に戻ってきた。朝が来るたびに家族や近所の人が死体を発見して悲鳴を上げる!笑える!(と思ったのはわたしだけか?)

犯人の女性は、裁判で自分の両親をはじめとする多くの市民が市長に粛清された過去を訴える。悪い人間である市長は墓で安らかに眠る資格などないと言う。

傍聴席で聞いていた市長の孫息子は事実を知り、ショックを受けた。そして、悪いことを認めない父親に絶望して自殺した。悲劇に泣きじゃくった父親は怒り狂って、市長の遺体を崖から放り投げて映画は幕を閉じる。

わたしは思う。自殺した十代の孫息子の命は救えたはず。市長の息子である父親は、自分の息子の苦悩を知り、何とかしたいと一応悩んでいた。先の2作品よりは、まだ希望がある時代に見えた。相変わらずな部分もあるが、明らかに前に進んでいた。父親の独断で犯人の女性を許すこともひょっとしたら可能だったかもしれない。

でも彼は、周囲と風習に負けた。市長が直接市民を殺した訳ではない、時代的に仕方が無かった、統制を守るために邪魔な人物は排除しなければいけなかった・・・などと言い訳ばかりして死んだ市長を擁護した。だから最愛の息子を失うことになった。

墓荒らしの女性の父親は画家だった。全体主義の社会では芸術家は弾圧の対象になってしまう。なぜなら、芸術文化は人間に大きな影響を与えるから。悪いことは悪いと気付かせてしまう。人間として正しい、あるべき姿を、市民が追求してしまう。それは組織にとっては脅威である。

画家が無実の罪で逮捕される直前、画家が弾いていたピアノ曲の曲名が思い出せなかった。絶対知っている曲だ。レミー、ミファー・・・レミー、ミファー・・・ 静かで不気味だけど美しい曲。

ウィキペディアで曲名を見つけた。ドビュッシーの前奏曲第1集「雪の上の足跡」だった。

墓荒らしの女性は粋でカッコイイ女性だった。女性の性格は、根っからの芸術家肌で画家だった父親や敬虔なキリスト教徒だった母親とは違う。墓荒らし裁判では、彼女が8歳のときに父親が逮捕されて、それから母親も逮捕されて、母親から引き離されたところで子ども時代の話は終わっている。女性はそれから、どこでどのように育ったのだろうか。こんな粋でカッコイイ女性に育ったなんて。

 

チラシに掲載されているアブラゼ監督の言葉が頭から離れない。

「私が最も重要なテーマの一つと考えているのは “罪悪感のない罪悪” です。」

 

絶望的なのは、映画に出てくる悪人たちは誰も罪悪感など感じていないということ。むしろ、社会のために正しいことをやっているという意識。誇らしさを感じているのだろう。

現代社会だってそうだ。わたしを翻訳機のように扱う今の職場も前の職場も、誰も罪悪感など持っていない。むしろ「尊重してあげている」つもりで、自信さえ持っている。わたしだけではなく、社会の至るところで同様なことは起こっているが、集団の内側にいる人間は決して問題に気付かない。世の中なんて、その程度である。

 

社会、組織、仲間などの集団を大事にすることは恐ろしいと、映画を観て改めて思う。

「仲間」という日本語はやっかいだ。ポジティブで良いニュアンスを与えてしまう。

わたしは「仲間」は恐ろしいと思う。仲間だから助け合うのではなく、あなたという個人が大切だから助ける・・・そういう人間でありたい。わたしは仲間より個人を大事にしたい。個人とは、遠くの他人と近くの他人、そして自分自身。

残念なことに世の中はますます逆の方向に向かっている。仲間と団結し、お互いを監視し、例外を許さない社会は、きっとこれからも変わらない。

わたしはこの数年、余所者の外部業者としてオフィスに通勤している。余所者だからこそ、仲間や団結の恐ろしさを強く感じる。全体主義の国で排除された芸術家たちのように、異質な考えを持つわたしのような人間は黙らせて機械として扱うのが、組織にとっては安全策なのだ。みんなが「悪いこと」に気付いてしまったら「大事な」組織が崩壊してしまうのだから。盲目的に同じ方向を見て一緒に進んでいくことが素晴らしいと信じている人たちなのだから。

 

1日で3本鑑賞すればセット券で少し安く済むとは言え、このような内容の3本を観たら、ぐったりしてしまった。ますます人生が嫌になってしまう。映画とはまったく関係のない現代の日本社会が、昔のグルジアのムラ社会とそっくり過ぎて。

人生100年も要らない。貧乏人にとっては苦痛なだけ。これまでも、これからも、社会はきっと変わらない。精神的にも苦痛だ。あと10年ぐらいでいいや。そう思った。

10年ぐらいなら頑張れる可能性がある。残り1年だと少し心残りだから、5年ないし最長で10年でいい。10年後には、個人の意思で自由に安らかに人生を終えられる権利が確立されていることを祈りつつ。そうでなければ、何らかの方法を自分で考えておかなければいけない。

うーん、自称ヒューマニストとしては相応しくない発言なのかもしれないが、この考えが良いか悪いかの判断は微妙・・・いや、良いような気がする。妥当な選択。

残り10年の人生でジョージア(グルジア)も旅したい。目指せ、充実のラスト・テン・イヤーズ!

 

スズキブログはクラシック音楽ブログなのだが、スズキは語学にも関心がある。グルジア語は独自の文字を持っている。語学関連の話を少ししたい。

監督の名前をグルジア文字で表すとこうなる:

თენგიზ აბულაძე (Tengiz Abuladze テンギズ・アブラゼ)

(ステキな文字・・・!)

最初の2本の映画はオープニングのクレジット・タイトルがグルジア文字ではなく、キリル文字だった。ソ連当局から基本的にキリル文字を使うことが推奨されていたのかも。3本目ではグルジア文字だった。(残念なことに、少しも読めないのだが・・・)

また、最初の2本の字幕は児島康宏さん、3本目は児島さんと松澤一直さん。プログラムのうちグルジア語で寄稿された文章の和訳も児島さん。

児島さんの名前は、語学テキスト「ニューエクスプレス」シリーズの「グルジア語」で見たことがある。買わなかったが、グルジア語を教えてくれる先生がいることに驚いて興味を持った。日本におけるグルジア語の第一人者なのだろう。その能力とお仕事が有り難い。拝みたくなる。

わたしも20年ぐらい前にグルジア語に興味を持っていれば専門家の道を目指して・・・なんて。無理か。。。

 

ところで、クラシック音楽ブログなのに何故この映画を取り上げたのか?

理由の1つは、これだけ長い感想をわたしが書ける場所が他にないから。

もう1つは、ふふふ。

 

偶然このスズキブログに来てくれた映画ファンの皆さん、ジョージア(グルジア)好きの皆さん、こんにちは!

音楽好きのスズキです。オススメのピアニストがいます。グルジア出身です。

www.music-szk.com

 

ダメもとで皆さんをクラシック音楽の世界に誘惑するためだった。

 

ただ、リンク先で紹介しているピアニスト、ヴィルサラーゼさんはグルジアの作曲家の曲はほとんど弾いていないように思う。でも、ちらっと名前を出した若手ピアニストはレパートリーにグルジア作曲家が入っていたと記憶している。(再確認しようと思ったのだが、オフィシャルサイトがメンテ中だった。)

 

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