ピアノ・リサイタル アブデル・ラーマン・エル=バシャ 72の前奏曲 第2夜

エル=バシャさんの演奏を聴くのは久し振りでした。彼は毎年ゴールデンウィークに開催されているラ・フォル・ジュルネという音楽祭の常連なので、いつでも聴けるから、敢えて積極的に聴きに行こうとはしませんでした。既に何度もラ・フォル・ジュルネで聴いているし、数年前には紀尾井ホールでのリサイタルも聴きに行ったし。

ラ・フォル・ジュルネではアーティストは多忙です(嫌な言い方をするとアーティストは「こき使われている」)。 2017年までは東京以外の各地でも開催されていたので、みんな金沢やびわ湖などに移動しながら、朝から晩までソロも協奏曲も室内楽も演奏して、その合間にリハーサルもこなすという状態。いつだったか、エル=バシャさんは同音楽祭でラヴェルの全ピアノソロ曲を弾くというプロジェクトをやっていました。クールなのにタフな人です。

そして、今回の来日では、わたしが知っているだけで4回公演を行っています(他にもあるかも?)。この前の週末は長野の松本でピアノ2台を弾き分けるリサイタル、そして武蔵野でこの二夜連続72の前奏曲公演、明日は川崎でベートーヴェンの4大ソナタ。そう、すべて違うプログラムなのです。一部重なっている曲はあるけど、演奏順が全然違います。一般的には、4回公演なら全部同じプログラムか、プログラムAとBのように2種類を用意するのでしょう。クールなのにタフな人です。本当に。

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アブデル・ラーマン・エル=バシャ
Abdel Rahman El Bacha
60歳記念2夜連続ピアノ・リサイタル

72の前奏曲 第2夜
2018年12月14日
武蔵野市民文化会館 小ホール

バッハ、ショパン、ラフマニノフ
24の調の前奏曲

バッハ
平均律クラヴィア曲集の第1巻または第2巻の前奏曲から

ショパン
24の前奏曲 Op. 28 から

ラフマニノフ
「鐘」Op.3-2、13の前奏曲 Op. 32、10の前奏曲 Op. 23 から


第2夜

嬰ヘ長調(変ト長調)
バッハ 平均律クラヴィア曲集 2巻 13番 前奏曲
ショパン 24の前奏曲 13番
ラフマニノフ 10の前奏曲 10番

嬰へ短調
バッハ 平均律クラヴィア曲集 2巻 14番 前奏曲
ショパン 24の前奏曲 8番
ラフマニノフ 10の前奏曲 1番

ト長調
バッハ 平均律クラヴィア曲集 2巻 15番 前奏曲
ショパン 24の前奏曲 3番
ラフマニノフ 13の前奏曲 5番

ト短調
バッハ 平均律クラヴィア曲集 2巻 16番 前奏曲
ショパン 24の前奏曲 22番
ラフマニノフ 10の前奏曲 5番

変イ長調
バッハ 平均律クラヴィア曲集 1巻 17番 前奏曲
ショパン 24の前奏曲 17番
ラフマニノフ 10の前奏曲 8番

嬰ト短調
バッハ 平均律クラヴィア曲集 1巻 18番 前奏曲
ショパン 24の前奏曲 12番
ラフマニノフ 13の前奏曲より 12番

(休憩)

イ長調
バッハ 平均律クラヴィア曲集 2巻 19番 前奏曲
ショパン 24の前奏曲 7番
ラフマニノフ 13の前奏曲

イ短調
バッハ 平均律クラヴィア曲集 2巻 20番 前奏曲
ショパン 24の前奏曲 2番
ラフマニノフ 13の前奏曲 8番

変ロ短調
バッハ 平均律クラヴィア曲集 1巻 22番 前奏曲
ショパン 24の前奏曲 16番
ラフマニノフ 13の前奏曲 2番

ロ長調
バッハ 平均律クラヴィア曲集 2巻 23番 前奏曲
ショパン 24の前奏曲 11番
ラフマニノフ 13の前奏曲 11番

ロ短調
バッハ 平均律クラヴィア曲集 1巻 24番 前奏曲
ショパン 24の前奏曲 6番
ラフマニノフ 13の前奏曲 10番

 

昨日の記事でも紹介したアムステルダムのムジークヘボウのインタビュー動画には長いヴァージョンもあって、そちらに、過去の演奏映像がちょこっと入っている。このプログラムを、何と野外で演奏している!夏の音楽祭だろうか?お客さんはTシャツやサンダル姿。ゆるーい空気の中、音楽を楽しむ。


Muziekgebouw aan 't IJ | Volledig interview Abdel Rahman El Bacha | 1 april 2017

ひょっとして、エル=バシャさんはこうして気軽に前奏曲を聴いて欲しかったのだろうか?前奏曲は即興的な部分があるとか、クラシック音楽以外の音楽にも子ども時代から親しんでいるとか、そういう話を動画でしている。気軽に聴いて欲しかったのだろうか?だとしたら、我々武蔵野の聴衆は真剣過ぎ?

いや、もしそうであれば、エル=バシャさんももう少し気軽な格好で来たはず。昨日も今日も彼は普通に黒スーツの白シャツだった。わたしはずっとエル=バシャさんの脚を眺めていた。どこ見てんだ、おい!というわけではなく、最前列の端に近いわたしの席からは、ほとんど脚しか見えなかった。スッとまっすぐ伸びた品のある御足を・・・(笑)

 

ピアノは今日ももちろんベヒシュタインだった。ギリギリまで調律師が調整していた。何か問題でもあったのだろうか。

音の歯切れが良い。心地良い。切れが良いのであって、鋭いうというのではない。例えば、そういう音はラフマニノフのあの前奏曲で効果を発揮する。ズンチャチャ、チャチャ♪ の歌謡曲みたいな雰囲気のあの曲(Op.23-4) 。

 

不思議なことに気が付いた。

昨日も今日もわたしは寝不足だし疲労もあって、寝てしまうかと心配だったのだが、逆に最初から最後まで集中力が途切れることはなかった。

エル=バシャさんが意図したかどうかは分からないが、これは聴衆を音楽に集中させるための最適な優れたプログラムなのかもしれない。

今、プログラムのどの辺を弾いているのか、聴衆もほぼ常に把握できているのだ。さすがにクラシック音楽初心者だとそうはいかないのだろうけど、ある程度聴き慣れている人にとっては、たとえすべての曲に詳しくなくても、流れを把握しながら鑑賞できる。

前半も後半もそれぞれ6セクションに分かれている。長調3つ、短調3つ。いま長調を弾いているのか、短調を弾いているのかはすぐにわかる。各調は3曲で構成されていて、バッハ、ショパン、ラフマニノフの順で弾かれる。たとえショパンとラフマニノフが頭の中でゴッチャになったとしても、クラシック音楽に慣れていれば少なくともバッハはバッハだとすぐ分かる。

たとえ全曲を知らなくても、かならずいくつかは知っている曲がある。多少苦手な曲が入っていても、そもそも各曲が短いので、すぐに次の曲に移る。各作曲家、1曲ずつ、それぞれ生きた時代も違う。常に変化を感じながら聴いていることになる。

そのようなプログラム編成なので、聴衆は迷子にならない。

偉大なる作曲家が作曲した曲は最初から最後まで素晴らしいというのはもちろんだが、それでも、現実問題としてわたしのような一般人は集中力を保てる部分と、集中力が途切れてしまう(つまり退屈してしまう)部分があることは否定できない。かといって、最初から最後まで知り尽くしている馴染みの曲ばかり聴くのも何だか納得いかない。

そこで、このプログラム。変化の頻度が多いこと(異なる作曲家、異なる時代)。曲数が多過ぎると言えばそうなのだが、明確にセクションに分かれていること(長調、短調、固定された順番)。うまく誘導されて、最初から最後まで集中して真剣に聴くことができた。そういう戦略だったのか? うっとりしながら幸せ気分でコックリ寝る予定だった人がいたら、迷惑な戦略かも?(笑)

 

ところで、ショパンの前奏曲第2番イ短調Op.28-2には驚いた。というか、わたしはこの曲の存在を知らなかった。ふつうにショパンの前奏曲を通して聴いているときは気付かなかったのだろうか。ショパンの作品にこんな不気味な雰囲気の曲があったとは。エル=バシャさんの演奏では左手の和音が強調されていたから、特に不気味に聴こえたのだろうか。前の曲(バッハ)がまだ続いているのかと思ってしまった。何だかものすごく気になる曲だ。

 

わたしが一時期夢中になったロ短調がこのプロジェクトを締めくくる最後の調である。エル=バシャさんが選んだバッハのロ短調前奏曲は第1巻の前奏曲。わたしの好きな前奏曲(でもフーガの方がもっと好きなのに・・・)

おお、ロ短調、やっぱりお前が一番うつくしい!!(スズキの叫び)

ずっとエル=バシャさんの脚を見ながら聴いていたのだが、ふと少し顔を上げて、ピアノの背後にあるオルガンに視線を移した。

小ホールにしては大きな立派なパイプオルガンがすぐ目の前に設置されている。

美しいパイプオルガンを眺めながらバッハのロ短調を聴く。

すばらしい(涙)

うわぁ、思いがけず至福の瞬間じゃないか!!

ああ、わたしのライプツィヒ旅から2年か・・・

ああ、どうせわたしの人生はくだらん、くだらん、くだらん。

失礼、脱線しました。

同じ調でも3人の作曲家それぞれ違う雰囲気の曲を作っているパターンが多かったように思うが、なぜかロ短調だけは3人とも厳かな雰囲気を持たせていた。二夜連続公演のフィナーレに相応しい。

いやあ、ロ短調はやっぱりいい。

ロ短調はドス暗い短調ではない。むしろ明るさも感じる。儚い希望がほのかに見えるところがいい。

さっき述べた通り、ひょっとしたらエル=バシャさんはもっと気軽に聴いて欲しかったのかもと思ったのだが、オルガンを見ながらロ短調を聴いたとき、どう考えても今回の演奏は「気軽」にではなく「真剣」に聴くものという理解で良さそうだと思った。

 

演奏し切ったエル=バシャさんは達成感あふれる様子など微塵も見せない。そういう人なのだ。ほんの少しだけ微笑む。(はぁ、たまらなくステキ・・・笑)

誤解しないで欲しいのは、エル=バシャさんは決して感情の無い人間というわけではない。ただ、彼はそういうものをむやみに人に見せない人。これまでの彼の60年の人生の中で、母国のレバノン、長く住んでいるフランス、コンクールで優勝して教授としてピアノを教えているベルギー、それぞれの国・社会でいろんなことが起こったわけで、彼だっていろんな思いを抱えて生きているのだと思う。それでも一途に音楽に情熱を注ぐエル=バシャさんはやはり高潔な人だと、今回改めて思った。


Portrait d'artiste : Abdel Rahman El Bacha

こちらはわたしの気に入っている動画。コンクール優勝時の19歳のエル=バシャさんより、いまのほうがステキですよ! 超絶技巧の曲にはあまり興味ないけど、それでもこの動画の後半で弾いている、やたらとスッキリ感のあるペトルーシュカは凄いとしか言いようが無い。

 

それにしても、今回のリサイタルは二夜セットで4000円という有り得ない破格のお値段。武蔵野だけの特別価格とは言っても、エル=バシャ様に申し訳ない。一方で、東京の一般的なホールなら今日のようなリサイタルは6000円ぐらいで、二夜なら合計12,000円。セット割で11,000円であっても、ケチなわたしは二夜は諦めてどちらか一方だけを聴いただろう。

武蔵野価格だからこそ、躊躇無く二夜セットで買うことができる。それでも、今回はもう少し高くても良かったのに。。

 

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