あのとき、クラオタと出会いたかった・・・スズキの中学時代

タンホイザー

スズキは今月鑑賞予定の「タンホイザー」を予習している。


TANNHÄUSER de Richard Wagner (2007/08)

これを聴くと中学時代を思い出す。毎年創立記念日に全校生徒600人で「タンホイザー」を歌った。三部合唱だった。1年生は全員アルト、2年生と3年生は男子テノール、女子ソプラノ。

ちょっと歌ってみるわ。


♪よぉーろーこびーにいー みーちーあーふうれぇ
♪いーざーたたーえん とおわーのーさーちぃー
(歓びに満ち溢れ いざ讃えん永遠の幸)

 

「タンホイザー」は主人公の名前なのだが、当時のわたしは(おそらく他の生徒も)「タンホイザー」というのが人名なのか、地名なのか、建物の名前なのか、何も知らずに歌っていた。

そうなのだ。ピアノが好きで、クラシック音楽が好きだと思っていた中学時代のスズキは何も知らずにタンホイザーを歌っていた。

せっかくヴァーグナー(ワーグナー)のオペラの一部を歌うのに、学校では何も教えてくれない。ただ、楽譜が配られて、それを見て楽譜の通りに歌うだけ。

ああ、学校教育はなんてつまらないのだろう。薄っぺらい世界だ。

 

ほらね!何にも分からなくても音楽って楽しい!みんなで一緒に歌うと楽しい!

?!?!

それを否定するつもりはないのだが、それは音楽の楽しみの一部でしかない。それ以上に興味を持つ可能性のある人には、更なる探求のために何らかのヒントを与えた方がいい。

 

ヴァーグナーの作品は長く、内容的にも重い。わたしにとって「タンホイザー」はヴァーグナー楽劇鑑賞4作目。これまでの鑑賞歴は「パルジファル」(2回)「ヴァルキューレ」(2回)「ローエングリン」(1回)。まだまだヴァーグナーについて語れるところまでは到達できていない。

 

「果たして、歓楽を求め、欲求にしたがいそれを味わうことは罪なのか?」

 

これが、ヴァーグナー作品によくみられるテーマ(現時点におけるわたしのヴァーグナーに関する知識と理解による)。要するに男女の関係のこと。

そんな話、中学生には早い?

別にいいではないか。子ども騙しではなく、本当のことを話せばいい。作品の内容に迫る(あるいは、せめてヒントになる)説明があっても良かったはず。作曲家に興味を持つ生徒もいたかもしれないのに。そのときは何となくボンヤリ説明を聞いていたとしても、数年後に何かに悩んだときにふと思い出すかもしれないのに。

ただ楽譜を見てみんなで歌うだけなんて、思い出作りごっこにしかならない。今が楽しければそれでOKではなく、その先に導く「道しるべ」を与えることこそ教育のなすべきことだと思うのに。子ども達は思い出作りのためだけに学校に通うのか? 力を合わせて一体感を味わうことだけが大事なのか? スズキはちがうと思うけど。

 

は!もしかして・・・
自由を求めるオペラの主人公に生徒達が影響を受けて、中世社会のような日本の中学校文化が崩壊してしまうから、作品の本当のことは話せないのだろうか?!ありえる(苦笑)。

ひょっとしたら音楽の先生自身が原曲オペラを知らないのかもしれない。ヴァーグナー作品を1作も鑑賞したことがないとか。それもありえる(苦笑)。

 

自分が真に求めるものを自由に追いかける悦びと苦悩、周りの無理解、罪の意識、それでも自由を求めることは正しい・・・作品からそういうものを感じるから、わたしはヴァーグナーが気になるのだろうか。

ところで「タンホイザー」を歌ったのはわたしの中学校だけではないらしい。「タンホイザー」「合唱」「中学」で検索してみると動画もページもたくさん出てくる。おそらく誰も原曲や作曲家については知らないで歌っているのだろう。

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(おっと!遠くに犬猿の仲と言われるブラームスさんの姿も!)

 


校内合唱コンクール

スズキの中学時代のハイライトと言えば、2年生のときにクラス対抗の校内合唱コンクールでピアノ伴奏の座を勝ち取ったこと。

1年生のとき、コンクール当日の演奏を録音したCDに夢中になった。世の中はみんなとっくの昔にCDで音楽を聴くようになっていたのに、貧乏スズキ家にはCDプレーヤーはなかった。ピアノの先生にお願いしてCDをカセットテープに入れてもらった。

そのカセットテープ、全クラスの演奏を、わたしはむさぼるように聴いた。学年共通の課題曲も、クラスごとに選曲する自由曲も、1年生から3年生まで36クラス分、さらに3年生全員による学年合唱と合唱部の演奏まで、ほとんど歌えるくらい覚え込んで、感想レポートが書けそうなぐらい各クラスの演奏を分析していた。

 

そして、目標ができた。
スズキも合唱コンクールでピアノ伴奏をしたい!(瞳キラキラ☆)

伴奏がカッコいいと中学生スズキは思った。CDのケースに名前が載るのです!それから、自分のピアノ演奏をCDとして残せるのです!カッコいい!(まあ、スズキも子どもだったな。)

 

2年生になったとき、クラス名簿を見てスズキは一人でガッツポーズ。前年の合唱コンクールで自由曲(課題曲より長くて難しい)の伴奏をした子はクラス内にいない。ということは、スズキが自由曲の伴奏者になれる可能性がある!(←当然、自由曲を狙ってた。)

よし、伴奏者のポジションを勝ち取る作戦開始。

後述するがスズキは1年の夏休み前に部活動をやめた。95%以上の生徒が部活動をやっていた学校では、スズキは正しい道を踏み外した「要注意人物」だった。神奈川県の普通の公立中学だったが、当時は厳しい学校だった。わたしが3年生のときに創立10周年。創立時から勤続している先生方にとって、わたしの学年は市内の他の学校へ異動する前に受け持つ最後の学年。10年分の思い入れも強い。規律を守る真面目な生徒ばかりの理想的な学校を作り上げたという自信に溢れる先生方。(うーん、スズキの日本嫌いはこの頃に芽生えたのだろうな。)

一見、地味で真面目なスズキは、入学当初は模範的な生徒と見られていたのだが、そんなわたしが早々と部活をやめたことは驚きだったのだろう。以来、学校内で何かしら役割を持たせるために、先生は積極的にわたしに委員会やリーダーなどの仕事を与えた。そんなわたしが「合唱の伴奏をやりたい」と言えば当然応援してもらえる。よし、うまく利用しよう。

担任の先生はよろこんでわたしにオススメの合唱曲の楽譜とCDを貸してくれた。(クラス対抗の合唱コンクールは先生同士の競争の場でもあった。熱の入れ様が半端ない。わたしの2年次の担任のように、自分のクラスに歌って欲しい曲というのをわざわざ用意している先生もいた。)

担任の先生オススメの曲は團伊玖磨作曲の合唱組曲「筑後川」だった。そのときもまだスズキ家にはCDプレーヤーはなかった。わたしは、CDは無視して、楽譜だけで曲を判断した。先生お気に入りの「みなかみ」と「河口」のうち、わたしにとって弾き易いのは「河口」だった。流れるようなフレーズが苦手なのにツェルニー練習曲のような指の訓練を嫌うわたしに「みなかみ」は弾けない。たぶん日本人女性としては、やや手が大きいわたしは、和音がバンバン続く「河口」の方が断然得意。「河口、いい曲ですね!」と先生に伝えた。最終的にどうやって曲が決まったのかは覚えていないが、クラスで歌う自由曲は「河口」に決まった。自分に有利な曲が選ばれてスズキはコッソリ微笑んだ。

伴奏の座を勝ち取るためには最初が肝心。4月、配られた音楽の教科書から、授業で歌いそうな曲を選んで伴奏を練習しておいた。そして授業時間、「音楽係」の生徒が「誰か弾ける人、いませんか? メロディーだけでも」と言ったときに、「ええ、少しなら」と言って引き受ける。堂々とフル伴奏を披露する。こうして、クラス内で「スズキさんはピアノが弾ける人」という評判が立つ。「合唱コンクールの伴奏、スズキさんで決まりじゃねーか?!」と声があがって、スズキはニヤリ。

何しろ学年でも数少ない「部活をやめた人」だったのでピアノを練習する時間はいくらでもあった。実はピアノ伴奏を狙っている人は他にもいたのだが、みんな夕方6時までは厳しい部活動、家で夕食を食べてから塾通い。忙しくてピアノを練習するヒマはない。スズキ家は言うまでもないが貧乏なので塾など誰も通ったことがない。ふふふ。スズキラッキー。

合唱コンクールの伴奏希望者は4人いた。部活や塾で忙しい皆さんを横目に、スズキは夏休みもエアコンのない我が家で汗だくになりながら毎日合唱曲の伴奏を練習した。伴奏者決定前の途中経過でもスズキの伴奏の評判は高かった。そして、最終的には音楽教師ジャイコ先生(後述)が、若干愚痴を言いながらもわたしを選んでくれたのだった。

勝利だ!
スズキの名がCDに載る!
スズキの演奏が永遠に残る!

2年生の秋に行われた合唱コンクールのCDが出来上がった頃、世間から10年以上後れてスズキ家にもCDプレーヤーが導入された。自分の演奏を真新しいCDプレーヤーで何度も聴きながらニンマリするスズキだった。(イタイ自惚れ女だ。)

 


ブラームスの交響曲

校内合唱コンクールの目玉は3年生が全員で歌う「学年合唱」だった。わたしが1年生のときに3年生が歌ったのはヴェルディ歌劇「アイーダ」の行進曲だった。


Aida II Act - Marcia Trionfale / Triumphal March (Teatro alla Scala)

当時のわたしも(おそらく他の生徒も)原曲の歌劇「アイーダ」など知らない。サッカーの音楽だと思っている人もいただろう。

ただ、わたしは音楽の教科書の見開き1ページにカラーで載っていた歌劇のシーンを覚えている。なんだかスゴイものなのだろうと思っていた。貧乏スズキには無縁の世界だろうと。(その後、熱心にオペラ通いをするとは、当時は思っていなかった。)

 

わたしが2年生のときに3年生が歌ったのはヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」だった。そちらよりわたしは1年のときに聴いた「アイーダ」が好きだった。あれほど合唱コンクールCDにはまったのも、生演奏で聴いた先輩たちの「アイーダ」がカッコ良かったからなのかもしれない。

 

そして、先生方にとっての最終兵器(?) 有終の美を飾る栄光の学年(?) であるわたしたちの学年が選んだ曲は「我らの地球」という作品だった。「地球」と書いて「ほし」と読む。

 

クラシック音楽が原曲の作品だった。それだけは覚えている。
今から10年ちょっと前、クラシック音楽の楽しみを知ったスズキはこの曲を探してみたいと思った。「我らの地球」というくらいだから、おそらく組曲「惑星」の中の1曲に違いないと思っていた。

 

ところが、違ったのです!

 

クラシック音楽を聴き始めると、わりと早い時期に出会う曲だった。

その名は、ブラームスの交響曲第1番の第4楽章。


Brahms: Symphony No. 1 / Rattle · Berliner Philharmoniker

意外でしょう?!ピアノ伴奏の四部合唱曲として、この曲を日本の中学生が歌っているなんて。定番合唱曲になっている「タンホイザー」や「アイーダ」と比べると、あまり知られていないと思う。

それはともかく、ピアノ好きで、自分はクラシック音楽が好きだと思っていた、中学時代のスズキが、ブラームスの交響曲など何も知らずに、ブラームスの交響曲を歌っていたということが衝撃だ。

おそらく生徒のほとんど全員、ピアノを習っていた子も、吹奏楽部だった子も、合唱部だった子も、原曲は知らずに、合唱用の楽譜だけを見て練習に取り組んでいた。

 

ブラームスもヴァーグナーも、作曲者のことを知らずに歌ってもらっても嬉しくないだろう。彼らは皆さんに美しい音楽を届けたいという奉仕の気持ちで作曲したのではない。自分を知ってもらいたい、自分という人生、自分という想像力、思考、価値観などを伝えたくて仕方なかったのに、なぜか当の本人を無視して音楽だけが中学生のあいだに浸透していくなんて、どう考えても悲劇だ。(その点は、あまり意見の合わなかったブラームスさんとヴァーグナーさんも同じ意見なのでは?)

 

「タンホイザー」と同様に、ブラームスの曲についても誰も何も教えてはくれなかった。ただ楽譜を見て、もっと大きく、もっと小さく、早い、遅い、音が外れている、ずれている、そういうことばかり指導された。曲が生み出された背景や文化など完全無視。オーケストラの演奏でこの曲を聴くことも無かった。ああ、学校教育なんか薄っぺらな世界だ。

 

現代なら、少しでも興味を持てばほんの1秒でネット検索することができる。

わたしが中学生だった当時でも図書館で調べるとか、音楽の先生やピアノの先生に質問するとか、さらに探求する方法が無かったわけではないが、ほんの1秒で気軽に情報を探せる現代と比べると、大きな壁がある。導いてくれる何かがないと、興味に気付いて行動を取ることが難しい時代だった。

 


吹奏楽部

わたしは基本的に日本の中学や高校で行われている部活動には反対だ。生徒や顧問の先生から自由な尊い時間を奪う最悪の活動だと思っている。個人の時間は大切だ。自分の力で考えたり想像することは人生において大事なことだ。

部活動全般的に反対なのだが、特に運動部のように、35度の猛暑の中で何時間も活動するのは死の危険を伴うバカげた行為だと思う。

古い伝統や決まりを大事にして、頭で考えるより、素直に言われたとおりに行動することを良しとする日本的な文化は部活動に始まり、大学のサークル活動や会社の新卒一括採用育成に引き継がれる。

仲間を大切に、同質化と絆を強めることに熱心で、外の人には無関心、チーム内あるいは企業内の密室体質の始まりは部活動なのでは?1歳や2歳の年の差で上下関係を決めるのも変だ。みんなで一緒に苦しもう!我慢しよう!耐えよう!こうして面白味のない平均的な日本人と日本人社会が生まれていく。

ああ、イヤだ。イヤだ。バカげている。


わたしは日本生まれで、ほとんど日本育ちなのだが、そういう日本的な組織に浸ったことがほとんどない。部活は早々にやめたし、新興三流大学に授業料免除で入学したのでサークル活動は無かったし、あっても貧乏な勤労学生は入れない。新卒時にはどこにも採用してもらえなかったので日本的な企業文化にも馴染んでいない。

 

こうして、今は自分の意見を堂々と述べてしまう「悪い子」になってしまったのだが、中学生当時のわたしはそうではなかった。海外に憧れつつあったが、日本人に囲まれて日本社会で生きる普通の子だった。音楽が好きだから吹奏楽部に入ったのに、なぜやめたいと思うのか、自分でうまく理解できなかった。惨めな気持ちで泣きながら部活をやめた。

 

吹奏楽部というところは、音楽の世界を楽しむ場所ではない。仲間と一緒にワイワイ楽しんだり苦しんだりするための場所である。そのための道具として音楽を利用するだけ。

創立10年の学校は音楽活動にも力を入れていた。NHKコンクールで吹奏楽部は県内銀賞の常連で、合唱部は金賞を取ったこともあった。校内合唱コンクールの取り組みもあり、地元では「音楽学校」などと言われていたほどだった。

スズキ家で1番最初に中学生になったわたしは「部活動」という日本伝統のシステムを理解していなかった。趣味の延長線上のものだと思っていた。なぜ毎日夕方3時間も強制的に活動しなければいけないのか。土曜日は1日中、さらに活動が過熱してくると朝練、昼休み練、日曜練まで加わって、ますます自由が奪われた。いま考えても意味不明の無駄な拘束だと思う。

部員数が多かったので夏のコンクールでは2年生と3年生だけで演奏することになった。わたしは、飛行機代が8月より安い7月に、母の故郷奄美大島に弟と2人で祖母に会いに行くことになっていた。(貧乏子沢山なので毎年は行けない。そこで両親は子どもを2人ずつ行かせることにした。)ちょうど先輩達のコンクールの日程と重なっていたので、コンクールには行けませんと顧問のジャイコ先生に報告した。

すると、ジャイコ先生は1年生数人が家族との夏休みの予定のために先輩たちのコンクールの応援・手伝いに参加しないことについて、部員全員の前で苦言を述べたのだった。

家族の予定より部活動を優先するのが当たり前なのかもしれないが、わたしは(というかスズキ家は)そんなことは知らなかった。なぜ自分が出ないコンクールに、出来るだけ必ず出向かなければいけないのか、わたしは理解できなかった。ただでさえ、夏休みの予定表が8月のお盆の1週間を除き、ほぼずっと日曜日以外は練習日となっていることに疑問を感じていたところだった。これはどう考えてもおかしいではないか。拘束される夏休みなど夏休みではない。

部活動でやることは、ひたすら練習することだけ。個人で練習、パートで合わせ練習、全体で合わせ練習。それから腹式呼吸を作るためのランニングと筋トレ。指導されるのは楽器の音程、音の強弱、テンポ、リズム、それだけ。曲を分析することもなければ、聴き比べすることもない。想像力もいらない。文化的な背景など誰も興味ない。ただ、先生の言うとおりに演奏して、みんなで一体感(?)を感じて、それだけで賞に入れるという世界。わたしが今、夢中になっているクラシック音楽の世界とは全然ちがうものだった。

部活の方針がおもしろくないというだけではない。わたしは、なぜか出来の悪い演奏者とされてしまったのもショックだった。

第2希望だったクラリネットを担当できたのは良かった。ただ、クラリネットの新入生4人のうち、わたしだけが合同練習に参加させてもらえなかった。先輩は、スズキさんはまだ十分に吹けていないと判断した。たしかに、いま思えば、わたしは正確なリズムやテンポが掴めないので適当に演奏してしまうクセがある(今でもそうだ)。そこが問題だったのだろう。でも、当時は自分ではそこに気付いていなかった。何年もピアノを習ってきた自分としては屈辱の扱いだった。

がんばって先輩や同期を見返してやろう、認めてもらおう、とは思わなかった。なぜなら、わたしは先輩や同期や顧問の先生を尊敬していなかったし、凄いとも思っていなかった(笑)

そんな人たちに認めてもらうためにわたしが努力するはずない(笑)

もし演奏が上手いスーパースターのような憧れの人が一人でもいたら(ポール・メイエのような名クラリネット吹きでしかもカッコイイ笑)、認めてもらおうと頑張ったかもしれないが、そこはただの中学校。コンクール上位常連でも、普通の中学生ばかり。モチベーションは上がらない。

幸か不幸か、いや多分、結果として「幸」なのだろうけど、わたしは親に楽器を買ってもらえなかった。ほとんどの新入生は楽器を購入していた。特にクラリネットのような小型の楽器はほぼ全員が購入していた。わたしは楽器購入説明会でもらったマウスピースと指定されて購入した木のリード(消耗品)だけ自前で、楽器本体は学校所有のものを使っていた。

もし、楽器を買ってもらっていたら、3ヶ月でやめたいなどとは言えなかっただろう。貧乏なのに無理やり買ってもらったのだから、3年間まっとうする義務があるとわたしは思っただろう。幸運なことに、楽器は買ってもらえなかったので、わたしには部活をやめるという選択肢があった。あのとき、楽器を買ってもらえなくて本当に良かった。

わたしが部活動をやめたのは、自由の無さ、音楽の無さ(音楽が道具のように扱われていた)、思考と想像を奪う活動内容と時間的拘束、団結力と忍耐力を強く求める雰囲気、空気を読んで周りに合わせる日本ムラ社会の始まり・・・そういうものだったのだろう。

当時は自分でよく理解できず、それまでお利口さんだった自分が悪い子になってしまったような気持ちだった。それでも、後悔はしていない。もし、あのまま日本的システムに入り込んでしまっていたら、もうとっくに人生のどこかで爆発して死んでいたかもしれない。ああ、おそろしい。

(ああ、それにしても、中学の時点で「スズキさんは日本で生きていくと苦しむだろうから、絶対に海外に逃げたほうがいいわよ」と誰か助言してくれれば良かったのに。そういう妥当な助言をしてくれる大人はわたしの周囲にはいなかった。みんなと同じ普通の人生をすばらしいと思う大人ばかりだった。)


ジャイコ先生

吹奏楽部の先生は通称ジャイコだった。そう、ジャイアンの妹のジャイコちゃん。ジャイコ先生はおそらくわたしたちの親と同じぐらいの年齢。わたしたちと同じ年のお子さんがいたはず。

3年間、音楽の教科担当もジャイコ先生だった。授業の最初の半分は生徒だけで歌やリコーダーの練習をした。(←ここで伴奏ができる生徒が大活躍する。)ジャイコ先生は職員室でタバコの時間。当時は職員室が禁煙じゃなかったということか。おそろしい。

授業開始から20分以上経ってから、タバコの臭いをプンプンさせて、ジャイコ先生はやってくる。先生は女性だけど音域はテノール。張り切って指導する。生徒の音程が汚いと「汚い」とハッキリ言う。ジャイコ先生の強力な指導でそれなりに音楽が良くなっていったのは確かだった。

ほとんど誰もやめない真面目ニンゲンだらけの吹奏楽部を3ヶ月でやめたスズキを、ジャイコ先生は「すぐ諦めるダメな子」と思っていたのだろう。2年の合唱の伴奏でわたしを選んでくれたときも、そこが心配だったらしい。現時点でのピアノ演奏の完成度はスズキさんが1番高いが、途中で泣いて役目を投げ捨てるのではないかという懸念があったらしい。

当時のわたしは弱かったので先生のやり方に納得できなくても、言い争うことなどできなかった。お互い距離を置いたが、音楽関連でどうしても関わる場面は出てくる。

ジャイコ先生はジャイコ先生なりに音楽を愛していた。先生は自分が担任するクラスが合唱コンクールで優勝(学年6クラスの中の1位)になることを強く望んでいた。毎年、先生のクラスには素晴らしい歌声の男子が揃っていた。合唱コンクール前の1ヶ月はクラス内での練習もさかんになる。「帰りの会」の前にジャイコ先生のクラスから聴こえてくる歌は惚れ惚れするぐらい上手かった。男子の力強い美声は合唱を安定させる。「選ばれた」男子たちは誇らしげに歌い上げた。コンクールCDでも先生のクラスが突出して上手いのは明らかだった。

3年時は、運動部等を引退した男子生徒のうち、ジャイコ先生が選んだ上手い生徒のみが入れる男声合唱団が結成された。もちろん、ジャイコ先生のクラスに所属する生徒が多い。この特別合唱団は選ばれた男子生徒たちにとって面倒なものではなく、むしろかなり名誉なことだった。選ばれた本人たちもそれなりに歌うことに自信があり、歌うことが好きだった。

わたしは何故か音取り練習のピアノ弾きの係りを引き受けた。さすがみんな上手い。音取りピアノ係など不要なのかもしれない。パート練習はパワフルにぐんぐん進む。よく覚えているさ。わたしが美声の男子軍団に囲まれたのは、人生でもこのときだけだから(笑)なかなか快感でしたわよ(笑)

3年生選抜男子が歌った曲の1曲は「狩人の合唱」だった。何となくクラシックの曲とは思っていたが、これまた詳細は何も知らずにみんな歌っていた。ウェーバー歌劇「魔弾の射手」から。

 

ベルリンフィルのホルン吹きサラさんの動画より「狩人の合唱」ホルンアンサンブル版


Berlin Phil Horns, Freischütz and a Cable Car!

 

残念なことに、ジャイコ先生の音楽愛はわたしに影響するものではなかった。


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わたしはもっと早くクラシック音楽と出会いたかった。

そのときはまだスズキさんにとっての「タイミング」では無かったのだよ。
好きになる「タイミング」が訪れるまで、待っていればいいのよ。
そうアナタは言うかもしれない。

でも、むさぼるように聴いた合唱コンクールCD、伴奏にかけた日々、吹奏楽部をやめても音楽とかかわった中学生活・・・あともう一歩で、中学生スズキはクラシック音楽に夢中になったかもしれないと、わたしは思う。

たぶん、クラシック音楽の世界に入り込むための準備はできていた。中学生だって、図書館やラジオを利用すれば無料でクラシックの世界を楽しめたのに。

でも、クラシック音楽を好きになるということがどういうことなのか、わたしは知らなかった。どこにもお手本はなかった。

クラシック音楽に情熱を注ぐ人が身近にいなかった。いたかもしれないが、わたしを導いてはくれなかった。中学生だったあのとき、クラシック音楽を溺愛する人と出会いたかった。楽しみ方のヒントを与えて欲しかった。

インターネットがまだ一般的ではなかった時代、人からの助言はどれほど重要だったか。わたしの生きる世界は狭かった。大人と接する機会の少ない中学生にとって、身近な大人がいかに重要な存在だったか。

時代は変わった。いまはブログというものもある。

このブログが、どこかの誰かがクラシック音楽に興味を持つきかっけになるといいなと思うのだが、このブログに辿り着く中学生はいないだろう。たどりついたところで、興味を持てる内容ではないのかもしれない。

でも、中学時代のスズキなら、きっとこのブログに反応して、ついにクラシック音楽に目覚めたのではないか?! そう思えてならない。

1,000人に1人、いや10,000人に1人でも、クラシック音楽に目覚める人がいてくれるといいなあと思っている。それが若者であっても、元若者であっても(笑)

 

何事も遅すぎるということはないって?

いつ目覚めたって良いではないかって?

その考えには賛同できない。限りある人生だからこそ、すでに内面にあるものには出来るだけ早く気付いていたい。時間は無限ではない。

自分の内側に眠っている興味にできるだけ早く気付けることは幸せだと思う。

わたしは中学のときに、きっとクラシック音楽にはまる準備はできていたのに、もう1歩のところにいたのに、前に進むことはなかった。

誰もオペラの世界を語ってくれなかった。

オーケストラ生演奏の興奮や聴き比べの面白さを教えてくれなかった。

シューベルトの「魔王」や「ます」や「菩提樹」は教科書に載っていたけど、シューベルトの内向きな部分に迫る解説や作品とは出会えなかった。

作曲家たちが歩んだ人生や、当時の社会、歴史、文学、哲学、宗教、神話・・・広い世界に導いてくれる人はどこにもいなかった。

 

20代も後半どっぷり入っていたときに、ようやく気が付いて、無駄に過ごしてしまった若い日々を後悔した。いまとなっては大嫌いなテレビ(何年も物置に入れた末に去年やっと完全撤去)を見て過ごしたわたしの20代半ばまでの無駄な日々を呪いたい。

ああ、あのテレビを見ていた時間、図書館でCDや音楽関連書籍を借りまくっていれば、ラジオやネットで音楽情報を調べまくっていたら、今頃もっと幅広く深い知識を持ちながらクラシック音楽に取り組んでいたのに。

もし、中学時点で自分の本当の関心事に気付けていたなら、もっと良い人生を選択できたかもしれないのに。何を学ぶか、どうやって働いていくか、どこに住むか。

失われた時間は二度と戻って来ない。だからこそ、わたしのクラシック音楽熱は熱いのかもしれない。無駄にした時間を取り戻そうとして、必死になって音楽を追いかけている。いまの情熱に繋がっているなら、遅く目覚めるのも悪くないじゃないかって?

いや、納得いかない。早く出会っていて損することなどない。早く出会えるなら早く出会っていたほうが良かった。誰かに教えてもらいたかった。あのとき、あと一歩だったのに。この世界まで。

 

クラシック音楽を追いかけてきて、不思議に思うことがある。いまでもプロを目指す若者は多いし、コンサートのステージで活躍している人々は比較的若かったり、ときには物凄く若かったりするのに、いつも変わらず客席の年齢層は高い。年を取らないとクラシック音楽は分からないというなら、プロを目指す子どもや若者たちをどう説明する? 興味を持つきっかけ、クラシック音楽との出会いを待っていたら、何十年もかかってしまったという人が多いのでは? もっと早く出会えるようにできないだろうか?

 

クラシック音楽だけではないのだろう。

何か特別に情熱を持って取り組んでいるもの(オタク的な活動ももちろん含む)について、誰かに語ることは意味があることだと思う。聞き手10人中9人が「うざい、聞きたくない」と思っていても、残りの1人が「あのとき、お話を聞いて、それでわたし、世界が広がりました!ありがとうございました!」なんて言ってくれるだけで、十分報われる。

それにより、自分が愛する業界が潤うのは良いこと。応援するアーティストが食べていけるなら良いではないか。客や市場にウケがいいかどうかばかり気にせず、安心して自分にしかできないアーティストとしての活動に力を注いでもらえるようになるなら、それで良いではないか。

こうしてブログなどネット上に情報がたくさんあることは、そういうものが無かった時代よりはずっと良いのだけど、いまの時代は情報過多という問題がある。自分に必要な情報にたどりつけないことが多い。本当に自分にとって大事な情報を探すためにはコツが必要となってしまった。

そういうとき、やはり生身のニンゲンとの出会いが大事なのだろう。人と出会い、語ること。何をネットで調べるか、そのヒントを与えるのは結局、リアルな世界で出会うニンゲンなのだろう。

語ろう。もっと。

自分が他の人と違う楽しみを持っていということを語ろう。もっと。

 

 

ご参考

www.music-szk.com

 

 

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