スズキブログ 記事の投稿を停止 さようなら また逢う日まで

人々が家に閉じこもっている今こそ、皆さんをクラシック音楽の世界に誘惑するチャンスなのかもしれない。さあ!怖くないから、こっちへいらっしゃい!!!

と言いたいところなのが、スズキはよく知ってる。誰もこのブログを面白いと思っていない。驚くほど少ないアクセス数がその証拠だ。その少ないアクセスのほとんどが、たまたま検索に引っかかっただけで一瞬ページを開いて閉じただけとか、記事には興味ないが暇つぶしにわたしの生存確認をしに来た人など。

自分の文章力などその程度さ。何かできそうな気がしていたのは思い違いだったのだ。リアルな世界よりは、幅広い人々に文章を届けられるし、その中にはこのような内容のブログに興味を持つ人も(全閲覧者の1%ぐらい?)いるのではないかと思ったのだが、そうではないらしい。

わたしには面白いコンテンツを作成する能力はない。わたしが面白いと思うことは、大抵の人間にとっては酷くつまらないものらしい。自分が思っていた以上に、自分は変人・変態なのだ。それも面白味のない変人・変態なのだ。それが事実だ。時間をかけて記事を作成するのもアホらしい。だからと言って、ウケ狙いの記事や無難な記事を書く気にもなれない。

どこかに書いたけど、わたしは生きることなどくだらないと思うけど、唯一生きることを素晴らしいと感じられるときというのは、誰かにわたしの世界を広げてもらったときと、わたしが誰かの世界を広げてあげたときだと思うのだ。よく分かったさ。「わたしが誰かの世界を広げる」なんてことは無理なのだ。何をすべきか、もう一度考え直してみるが、自分には向いていないと決断することになるのだろう。とほほほ。

このブログの目的の一つは、家に閉じこもっている人たちを外に誘導することだった。コンサートに行こう!旅に出よう!ほぉら!楽しいでしょ・・・と。さあ!そうしてアナタのお金をクラシック音楽のために使っておくれ!!(本音?笑)

でも、旅もコンサートも不可能となってしまった。スズキブログの存在意義は半分ぐらい消えてしまった。

わたしのクラオタ活動は、生演奏や旅の予習がその中心だった。夏の旅もキャンセルすることになったし、6月の東京のオペラもおそらく無理だろう。いつも「予習が間に合わん!」と一人で焦って大騒ぎしていたのに、突然予習リストがすっからかんになってしまった。今、もう、やることがない。新しい記事を書くネタは他にもあるのだが、中心となるべきコアな部分がごっそり欠けてしまうので、何を書いても本質のない内容ばかりになってしまうような気がして虚しいだけだ。

それに、わたしは自分の独り言を書き綴る日記的なブログにはしたくなかったのに、最近のスズキブログの投稿記事をご覧よ。

ブログ=日記だと思っているのは日本人ぐらいだろう。世界ではブログはどちらかというと個人サイトで展開するコラムやエッセイみたいなもので、自分の知識や意見や経験などを文章で表現するものなのだ。比較的きちんとした真面目な文体で書かれていて、論理的で説得力があるものなのだ。(日本でブログ=日記という構図が定着してしまったのは、初期のブログが芸能人たちが投稿する薄っぺらい「日記」だったせいだろう。)

自分という存在が嫌いで、自分の人生が嫌いで、自分が生きる世の中も嫌いで、ついついスズキブログを日記のようなスタイルで書いてしまう傾向について、わたしは反省したい。

確かに、自分の話を聞いてくれる(わたしの話を理解できる能力がある)人は、わたしの周りにはほとんどいない。でも、そのストレスを晴らそうと思うなら、この音楽ブログではなく別のブログを作成して展開するべきだろう。(ただし、暴走しそうだし、別途ブログを運営するのも面倒なので新ブログを立ち上げるつもりは全くない。)

そんなわけで、

  • このブログは、そもそも人様の役に立っていない
  • このブログの目的の一部(旅と生鑑賞)が現在は不可能である
  • これ以上、個人の日記のようになってしまうのを阻止したい

以上の理由のため、スズキブログはしばらく更新を停止する。

旅やコンサートが再開される頃には戻ってくる予定なのだが、それまでに死んでるかもしれないし(笑)、旅やコンサートが再開されても書く気力が沸かないかもしれない。ブログそのものをひっそり閉鎖しているかもしれない。とにかく、自分の活動を見直すときが来たのだ。いろいろ考え直そう。納得できる道を探そう。無理そうだけど。一応トライしよう。

もう永遠に「さようなら」なのかもしれないが、一応、現時点では戻ってくる予定なので、「さようなら、また逢う日まで」ということにしておこう。

こうしてわたしのsocial distancing(社会的距離を置くこと)は完成する。

わたしほどリアルでもオンラインでもsocial distancingを達成できている人は珍しいと思うのだ。いや、isolationと言うべきだろうか。social distancingあるいはisolationの優等生として表彰してもらいたい。

チャット系のアプリは好きではないのでLINEとかいうアプリのアカウントなど持っていない。あってもきっと誰からも連絡ない。facebookは自分が旅しているとき以外は一切アクセスしないことにしている。というのも、アルゴリズム上、わたしの投稿は価値の低いものとしてシステムが認識しているので、投稿してもそれを読んでくれるのは2~3人ぐらいだろう。投稿するのもバカらしい。そもそも、リアル世界で人付き合いが悪いわたしは、リアルな知り合いがいるfacebookでは限りなく存在感が薄い。わたしが面白いと思うことは、他の人にとっては酷くつまらないものである。ブログでも他のソーシャルメディアでも。

「アルゴリズム」とは、つまり皆さんがソーシャルメディアにアクセスしたとき、自分好みの情報や世間で人気の情報が自動的に優先的に表示される仕組みのこと。そのため、スズキが提供する情報は常にジャンク扱い。利用者の皆さんからの評価が低いのだから仕方ない。システムだけのせいではない。実際、わたしの出す情報など、誰も気に留めない無駄な情報なのだから。だったらもう投稿しないさ。

ツイッターは自ら誰もフォローせず、一方的に主にブログ更新情報を発信するのみ。ただし2~3人を除いてほとんど誰も見ていないようだ。(見てくれる皆さんありがとう!)今後はブログ更新情報は途絶えるので、ツイッターもストップすべきかもしれない。あまりにも情報発信するツールが無さ過ぎて何か発言してしまうかもしれないが・・・

ついに1週間ぐらい前からインスタグラムも見るのを止めた。海外のアカウントを中心にフォローしているが、いつも世界中を飛び回っていたソリスト達が家に閉じこもっている様子に耐えられない。毎週のように公演していたオペラハウス、コンサートホール、オーケストラなどが公演中止の案内、過去の映像、無人の客席の写真、自宅で個人練習する団員などの様子を投稿するのも気分が滅入る。「みんな一緒に苦しんでいるんだ!」ということで勇気づけられるなどという単純な感性を持つ人は幸せだ。わたしなど、世界のすべてが絶望的な状況なのだということを強く感じて辛くなってしまう。アーティストたちを応援したい気持ちはあるし、最近はインスタグラムがわたしにとっては唯一のリアルタイムなクラシック音楽の情報源だった。音楽関連ニュースなどは一応、気になるのだが、逃がしたところで自分にとって大した問題にはならない。コンサートが再開されるまでインスタグラムも見ないことにした。そもそもブログ以上に自分の立ち位置を確保できないのがインスタグラムだ。わたしの存在感は限りなくゼロに近い。わたしがやることはインスタグラムの世界の人々にとってはつまらないらしい。どうもわたしは使い方を間違っているのだろう。はっきり言ってインスタとは相性が悪い。というわけでしばらく利用停止しても何も問題ない。

普通のニュースからも距離を置くことにした。

もともと日本のニュースはアホ臭いから読まなかった。普段は見出しだけチラ見するだけだった。芸能人、スポーツ選手、政治家などの名前も顔もあまりよく知らないし興味ない。金融、経済、ビジネスなど仕事に関連しそうな記事だけをたまに読んでいた。ところが、こんな状態になって、一つ一つ記事をクリックして読むようになってしまった。クリックしたことを後悔するようなアホ臭い記事も多いのに。毎日悪いニュースばかり。わざとらしい「良い話」もイラっとする。もう十分だ。先週から、以前のように見出しだけをチラ見することにした。大まかな情報はそれだけで分かる。詳細など知らなくても良い。情報過多で気分が滅入る方が問題だ。

テレビなどとっくに捨てたので見ることはない。

唯一、音楽など芸術関係のYouTube動画は今後も頻繁に観ることになると思う。結局のところ、わたしはただの視聴者に過ぎない。表現者には向いてない。確かに自分の記録用のテキトー過ぎる動画ばかり投稿しているのだが、一般の人間からみると何の価値もないらしい。わたしの存在感はゼロに等しい。ただ、思うのだが、「今この瞬間」の新しい投稿だけが重視されるツイッター、インスタグラム、facebookなどにおいては、最近の投稿はすべてコロナ危機と何らかの関係を持っているので、気分が滅入り易い。YouTubeは過去の投稿も新しい投稿も同じぐらい大事にしてくれる。その点は、YouTubeが優れていると思う。コロナ以前に投稿された平常時の動画を楽しむことができる。YouTubeは今後も利用していく。ただし視聴者として楽しむだけだ。特にコメントもせず動画を観るだけ。どうも表現者に向いていないのだスズキは。ブログのような文章作成も映像も写真も何もかも向いていないのだ。

そんなわけでネットの世界に自分の居場所はほとんどない状態だったのだが、このブログの更新停止により、さらにネット上の自分のプレゼンスは低下する。

リアルライフでは既に1か月以上在宅勤務。外出は食料品の買い物ぐらい。

数か月後には世の中の情報を知らな過ぎてわたしは完全に浦島太郎になっているだろう。別に誰も困らない。どうでもいいではないか。

そして、世の中からわたしの存在がますます忘れられてしまうのだろう。でも、わたしがこの世から消えても誰も困らないのだから、どうでもいいではないか。

そんな訳で、情報過多で憂鬱な気分になってしまった人は、スズキのようにリアルもネットもsocial distancingあるいはisolationを実行するのが良いだろう。 一時的に(あるいは半永久的に)あらゆるものとの縁を切ってしまうのだ。最低限必要なごく僅かなネットワークだけを残そう。

 

準備中あるいは構想中だった記事について、図々しくも書き残しておく。

ミュンヘンのオペラ祭り

大物アーティストを追いかけているわけではないが、中止となった音楽祭では大物たちの熱演を楽しむ予定だった。一部うろ覚えだが、確か「ナブッコ」でドミンゴ、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でカウフマン、指揮はキリル・ペトレンコ、「リゴレット」ではロンドンでオペラをドタキャンしたキーンリーサイド・・・(は!オトコの名ばかり!?) 他にもハイドンのオペラなんてものも鑑賞予定だったのに。ミュンヘン滞在中にニュルンベルクも訪問するつもりだった。ミュンヘンでは前回は行かなかった美術館(アルテピナコークのデューラーとか!)にも行く予定だった。

北ドイツの音楽祭では1公演だけ鑑賞を予定していた。美しきハープ奏者メストレの室内楽を教会で。

ドイツの友とはずっとメールでやりとりしていたのだが、昔ながらのアナログなメールは良い。返信は数日から数週間後というゆるやかなやりとり。先ほどかなり久しぶりにSkypeビデオを利用して会話した。何しろSkypeビデオを使うのは2年ぶりなので緊張した。

鑑賞の予習リストも空っぽで暇になってしまったこの機会に、ドイツ語の先生を探してSkypeレッスンでも受けるか?以前もSkypeレッスンを考えてみたのだが、残念ながらまだ普通にドイツ語で会話できるレベルにない(友達とも会話は基本的に英語)ので「気軽なチャット」は不可能。躊躇してしまうのだ。何しろ初心者向けレッスンの先生たちは、みんな気合い満々でみっちり長時間指導する方針のようで・・・ なんとか自力で普通の会話ぐらいできるようにならないと、週1程度の「気軽なチャット会話レッスン」は不可能だ。

そういう意味では、むしろ英語のSkypeレッスンでも受けてみるか?目標は、いつかクラシック音楽のアーティストたちにインタビューすること?うーん、バカバカしいな。そもそもわたしは日本語でも英語でも音楽の専門的な知識がない。「インタビューに相応しい英語」を身に付ける以前の問題だ。クラシック音楽アーティストとのコミュニケーションに長けた人が語学の先生などやってくれるはずもないし・・・

 

マイスタージンガー

「もう!やだぁ!ヴァーグナーさんったら!」バシ!!

スズキはフレンドリーにバシっと偉大な作曲家の御背中を叩いてしまいそうになったわよ!ヴァーグナーの作品はいつだって憂鬱で陰気臭いものだと思っていたのに、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は愉快な物語ではないか!相変わらず長い(4時間半)作品ではあるが、第一幕も第二幕もどんちゃん騒ぎで幕を閉じるなんて、思いもよらなかった。それに「はらほろへー」の歌とか、ベックメッサーとザックスのコントみたいなやり取り、ベックメッサーの間違いだらけの残念な歌とか、笑える要素も沢山。思いっきりドイツナショナリズムな点は気にするな!要するに、スズキはこの作品をとても気に入ってしまったのだ!

特に「どうせ靴屋のことなど誰も理解してくれない」とハンス・ザックスが、あのいつも一人でいるときだけ胸の内を語っていたザックスが、よりによってあの場面で、あの二人の前で、唐突に激しく嘆く場面に、何度も泣いたさ。わたしだけではないはず。そこのあなただって覚えがあるでしょう?

今年わたしはこの作品を2回鑑賞することになっていた。中止に追い込まれたミュンヘンの他に、6月に東京で鑑賞。この6月の日本での上演を楽しみにしている人には残念な言い方かもしれないが、6月の日本での公演もきっと無理だろう。主要キャストはヨーロッパ(アメリカ?)の歌手たちなので来日できない可能性がある。渡航制限や検疫などは続くのだろう。そのような条件の中で無理やり来てもらっても、感染数が急増中の日本国内で引き続きイベント自粛が続いていれば、上演はできない。前記事の通りドイツでは8月末まで大規模イベントは中止となってしまった。ヨーロッパと日本の状況を考えれば、6月に日本でオペラ上演が可能とは思えない。

ああ、2回のうちの1回ぐらいはどうにか鑑賞したかったのだが、無理そうだ。予習も無駄だ。次にこの作品と出会えるのは数年後かもしれないし、数十年後かもしれない。とほほほほ(号泣)

予習した作品の内容で1記事、作品内のドイツ語をピックアップして1記事、合計で2つぐらいはブログ記事が書けるのだが、別に需要があるわけでもなく、誰かが喜ぶわけでもない。自分が疲れるだけだ。生鑑賞の機会があるまで、もう書かない。

 

ナブッコ

ミュンヘンの音楽祭の予習はヴェルディ作「ナブッコ」に入ったところだった。 たまたまYouTubeで見つけて観てみたのは30年以上前のヴェローナの野外オペラの映像だった。客の数と熱狂が凄い。わたしは室内でオペラを楽しみたいのだが、オペラファンとして1度ぐらいはヴェローナ・ディ・アレーナに行ってみたいなと思った。(場所には行ったことがあるが、冬だったのでオペラ上演はなかった。)

誰にも愛されずに死んでいくアビガイッレがかわいそう過ぎるので、スズキ流のステキな演出を思いついたのだった。その演出アイデアをご紹介しようと思ったのだが、やめておく。

 

マタイ受難曲

コロナ危機の中、スズキはひっそりと誕生日を迎えたのだった。一人でずっとエンドレスに何度もバッハの「マタイ受難曲」(演奏時間3時間)をネットで繰り返し鑑賞しながら、分厚いボーカルスコア(楽譜)をボーっと眺めて過ごした。たまに泣きながら。この曲の凄まじさをご紹介しようと思ったのだが、これもやめておく。

ああ、つまらん。「スズキさん、クラシック音楽が好きなの?いいね!うっとり優雅な感じのBGM風の音楽が好きなんだね!」なんて世間は思っているんだ。どちらかというと死にたくなる絶望的な音楽ばかり聴いているというのに。

マタイを聴きながら過去10年ぐらいを振り返った。なぜって、10年前に、ピアノを買いたいからこのマンションに引っ越してきたんだ。引っ越しの半年後にピアノを買った。あれから10年か。クラシック音楽という世界を見つけたあの時に死んでいれば良かったのに。幸せな気分のまま。あれからわたしは、ますます音楽の世界とヨーロッパにのめりこんで世間とまったく合わなくなってしまった。永遠に不安定な仕事も嫌になった。同じ氷河期でも恵まれた状況にいる人から「努力しなかったから仕方ないでしょ」などと言われたり。半人前、人間未満、部外者、よそ者、くだらない奴。世間のわたしの評価はその程度さ。甘えん坊の親は何も理解せず、ますます幼児化して重苦しい。わたしが優しくしすぎたせいなのかもしれない。ピアノだって、わたしを不幸にする。弾けば弾くほど自分が音楽の神に呪われていることを知るばかり。わたしは正しいリズムもテンポも分からない。感覚的に分からないことは練習すれば解決できるという問題ではない。弾けば弾くほど音楽の神を恨みたくなる。こんなに好きなのに、裏切り者め!あんたなんか大嫌い!日本と言う国が生理的に合わないと思うようになったのは、何かきっかけがあったわけではない。10年ぐらい前から、じわりじわり、少しずつ、気が付いたら、嫌いになっていたのだ。そう気が付いたときは既にオバサンだった。思い切って行動しにくい年齢、資金力、世の中であまり通用しないスキルしか持たない中年のオバサン。この国に生まれたことを恨むと同時に、早く「嫌い」ということに気付けなかった自分自身のことも恨む。つまり、10年前はまだいくつか人生の可能性があったし、そこまで人生に絶望していなかったのだ。あの頃に、人生が終わっていれば良かった。というか、そもそも生まれてこなければよかった。そう誕生日に思う人生なんて、やはり何の価値もない。

ネットで鑑賞した「マタイ受難曲」の一つはベルリンフィルのデジタルコンサートホールで公開されているものだった。エヴァンゲリスト役はマーク・パドモア。通常は受難曲では歌手たちは楽譜を見て歌うのだが、ベルリンフィル版は演技付きのオペラ風「マタイ」だったので、歌手全員が楽譜無しで演技しなから歌っていた。特にエヴァンゲリストは、あんなに絡まれた状態でよくこんな深刻な内容を歌い続けられるなと、ぞくぞく背筋が凍るような凄味を感じた。ベルリンフィルのデジタルコンサートホールの特別無料期間が終わってしまった。中止になったチケット代が戻ってきたことだし、このたびスズキは有料会員登録することにした。おすすめの気に入った動画を皆さんに紹介しようと思ったのだが、余計なお世話だろうからやめておく。ああ、でも、何だかな、次々に最新の演奏(ライブストリーミング)が入ってくるからこそ楽しい「デジタルコンサートホール」なのに、今は過去の演奏を聴くだけ。それなのに、有料会員になって良かったのだろうか。ちょっと損だよな。まあいいか。音楽業界への寄付だと思えばいい。

死ぬ前に、「マタイ受難曲」をヨーロッパで鑑賞したいなぁ。演奏が終わったら、一瞬だけ余韻を楽しんで、背後から撃たれたい。(ちょっとまって!こんどは「ヨハネ受難曲」も聴きたくなるかもよ!)

 

冬の旅

2019年1月から挑戦していたシューベルト歌曲「冬の旅」全曲ピアノ演奏。予定の1年間に終わらせることはできなかったが、3月に無事完了した。挑戦完了を記念して、この歌曲集の最後のあの奇妙な曲について自己流解説をしようと思って、3月に途中までブログ記事を書いていたのだが、コロナの状況が悪化するにつれて書く気がなくなってきたので断念する。

 

パーペさん、シャーガーさん

最近のお気に入りのオペラ歌手たちについて、もう少し語りたいことがあったのだが、これもお蔵入りにしよう。ベルリンのオペラ「パルジファル」を観ましたか?おもしろかったね。ええ!!観なかったの?既に公開期間は終わってしまったわよ!アンドレアス・シャーガーについては、おそらくあまりDVDやテレビ動画などの出演がこれまでほとんど無かったのだろう。ネット上で楽しめる唯一のフルオペラのシャーガーさんだったのでは?貴重な映像だった。

 

ハムレット

前記事のグローブ座のハムレット、面白かったよ。わたしが1月に鑑賞したのは野外ではなく、同じ敷地内にある室内の小さなシアターでの上演だったのだが、公開動画の雰囲気は室内での上演の雰囲気ともよく似ている。独特の世界だ。わたしは実際に自分でグローブ座に行くまで、あんな演劇の世界は知らなかった。また行きたいなぁ。生で鑑賞したいよ。

涙と汗と唾とが飛び交う激しい演技を見ると、上演はしばらく無理なのだろうと悲しくなってくる。今後はオペラも演劇も「お互い2メートル離れる」なんてルールができてしまうのだろうか。新しい演出が必要だ。どう考えても面白味に欠けてしまうのだろうけど。

そして、グローブ座では来週から「ロミオとジュリエット」を公開するという。他にやることがないのでスズキも今後しばらくはグローブ座の無料公開に合わせてシェークスピアの作品を勉強しようと思う。誰も教えてくれなかったけど、スズキとシェークスピアは相性が良いのだ。わたしがこのブログで吐く毒やブラックユーモアはシェークスピア作品のそれらと似ているのでは?恐れ多くもそう思っている。さらに検証してみよう。

グローブ座「ハムレット」の感想と、気に入ったセリフをピックアップして記事を1本書けそうなのだが、ブログのテーマである音楽からは遠ざかるし、ニーズも無さそうなのでやめておく。

 

ロンドン旅のAmazonキンドル本(電子書籍)

ひょっとしたら、あの音楽旅が人生最後の音楽旅となるのだろうか。ひょっとしたら、今後数年ぐらい海外旅は不可能となってしまうのかもしれないという、嫌な妄想が進んでしまう。あり得るだろう。ロンドンで書き留めたメモと、予習時のメモは残っているのだが、旅行記を書く気力が沸かない。放置することになりそうだ。誰も困らないだろうから別にそれでいいだろう。

 

今後のクラシック音楽世界の妄想(懸念)

  • しばらく海外からの来日はなくなる。海外贔屓のわたしにとっては悲劇だ。日本のオーケストラ団が演奏するときは、ヨーロッパ在住のソリストが自宅か最寄りのスタジオからリモートで参加する。ソリストの映像と音をリアルタイムで日本で楽しめるのだが、たまにネットワーク不良のため、チケット代払戻対象に(笑)ソリストだけでなく、指揮者も遠隔指揮となるかもね。ああ、泣ける。。
  • 短くて簡単で楽しい気軽な音楽ばかりになるだろう。人々が求めているし、演奏する側もそのほうがラクだから。でも、わたしは深刻で複雑な芸術的な音楽を楽しみたいし、そういうものだけが真に心の支えになると思っている。どうせ無理なのだろう。ああ、かなしい。
  • 社会的距離の配慮のため、演奏側も客も2メートルの間隔を空ける。舞台上のオーケストラ奏者が限られるため、マーラーの交響曲など大規模な演奏は不可能に。客も間引きして座るのでチケット代は2~3倍となる。ああ、いやだぁ・・・
  • 演奏者同士の演奏前の握手、演奏後のハグ、キス、握手は禁止。しばらくは微妙な空気が流れるだろうが、そのうち、お互い素晴らしい演奏を称えるためのジェスチャーか何かが生まれるだろう。ぐすん。
  • オペラでは、歌手やダンサーが2メートル間隔を空けて演じなければなくなる。演出家は新しい演出を用意する。愛する二人は2メートル空けて見つめ合いながら、マジックハンドで抱き合う。感動の場面で観客バカウケ。コントかよ。
  • 笑えない話だが、東京のオーケストラや地方のオーケストラの一部が解散するかもしれない。そもそも東京はオーケストラの数が多い。多いからこそわたしたちは常に複数の公演から好きな公演を選んで鑑賞を楽しめた。今後もそうであって欲しいのだが、どうなるだろう。
  • これも笑えない話だが、希望を持って何とか頑張っている演奏者など音楽関係者の陰で、絶望して死を選ぶ人も出てしまうのだろうと思うと、いたたまれない。経済問題、健康問題、スキルと感覚の維持、気力と情熱の維持・・・ それに、音楽のプロだからといって簡単にネットで稼げるわけではない。世の中の人間のほとんどはコンテンツは無料で楽しむものだと思っている。報酬をもらえるサービスを提供しても、その取り分は思ったよりはるかに少ないだろう。生活を成り立たせるほどにはならない。ずるいかもしれないが、わたしだって生の演奏を聴きたいし、生の演奏にこそお金を払いたい。応援してあげたいけどわたしは富豪ではないし、自分自身も夏には失業かもしれないし、どうにもできない。ただ、生演奏の音楽芸術がずっとわたしの人生で大事なものだったし、これからもずっとそうであることだけは申し伝えたい。わたし自身がこうして絶望して死にたいなどと言っているので無責任に聞こえるかもしれないが、音楽関係の人々が希望を持ち続けてくれるように願うばかり。

 

まさかとは思うが、スズキブログの更新が人生の数少ない生き甲斐だったという人などいないだろうか。そうだとしたら、本当に申し訳ない。でも、そんな人いないよね。きっとみんな暇つぶしとして読んでくれていたのよね?たとえ暇つぶしだとしても、読んでくれたこと自体は嬉しかったよ。ありがとう。 

 

では皆さん、特に、こんな長い記事を最後まで読んでくれた皆さん、どうかお元気で。安全にお過ごしください。しばらくスズキのことは忘れてください。

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