鑑賞メモ2020年|シアトル交響楽団の思い出 クラシック音楽家が「住んでもいい」と思ってくれる都市とは

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スズキは嘘つきだ。ヨーロッパの情報を追いかけると言ったのに、突然アメリカの話をする。


Mozart Piano Concerto No. 21 / Jon Kimura Parker & Seattle Symphony

YouTubeコメント欄にフルコンサートへのリンク有り(ただし現地時間10月1日まで)

ヨーロッパでは、観客を入れてマスク無しで演奏するケースが多い。それと比べると、指揮者やソリストまでマスク姿の無観客コンサートというのは観ている人に訴えるものがある。音だけでは伝わらない何かが伝わってくる。管楽器奏者も、自分のパートがしばらく休みの間はマスクを着用する徹底ぶり。

世界各地の状況はネットで手に取るようにわかる。どんな心境で演奏に臨んでいるのだろう。

1曲目はアメリカの作曲家ウィリアム・グラント・スティル・・・?ん、どこかで見た名前だと思ったら、先日ウィグモアホールでタイ・マリーさんがアンコールに演奏していた曲の作曲家ではないか。指揮者・作曲家として活躍した最初のアフリカ系アメリカ人と言われている。演奏されたのは長閑な感じ(コープランドとか?)の曲だった。作曲家について調べながら聴いてたら、突然拍手?!演奏したオケ団員たちが自分たちで拍手していた。それでいいと思う。いくら無観客だからって、拍手のない演奏は、動画を見ていて悲しくなる。(びわ湖リングでは拍手なかったからね・・・)

2曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第21番。ソリストはジョン・キムラ・パーカー。日系カナダ人のピアニスト。名前は知ってるので日本でも演奏していると思う。演奏後のコメントで、義理のご両親がシアトル交響楽団で演奏していたので「ホーム」に帰ってきたように感じると言っていた。アメリカやカナダの各地に住む家族たちが、こんなに沢山一緒に自分の演奏を鑑賞するなんて初めてだそうだ。オンラインならではの「嬉しいこと」だね。また、彼が大学で教えている生徒たちも観ているから、「自分の演奏大丈夫だったか気になるよ」と謙虚なことを仰る。(いや、抜群によかったですよ!)アンコールにジョップリンのSolaceをオシャレに演奏。

そして今、3曲目のベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を聴きながらこれを書いている。指揮者は中国出身の女流指揮者シャン・ジャン。ニュージャージー交響楽団の音楽監督。経歴を読むとロリン・マゼールのアシスタントを務めていたようだ。ミラノなどヨーロッパでも活躍。

このコンサートは現地時間の10月1日まで公開中なので、けっこうギリギリのタイミングで聴いている。

 

なぜシアトルか?
シアトルはわたしにとってご縁のあった場所だから。

わたしの人生のピークは17歳のときだった。その後は勤労学生で卒業後は非正規労働。振り返ってみてもくだらん人生だった。

そんなくだらん人生の唯一のピーク。シアトル郊外の町で1年間、現地の家庭でホームステイをしながら現地の高校に通った。

その後、これまでに3回だけ現地を再訪した。そのうち2回でシアトル交響楽団の演奏を聴いた。

2015年の旅で聴いたのは2015年-2016年シーズンの最初のコンサートである9月に行われるガラ・コンサート。わたしは知らなかったが、ガラ・コンサートではお客さんもゴージャスな正装ばかり。まるでパーティーのよう。そのときのメインはジャン=イヴ・ティボーデを迎えて演奏したサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」だった。

今回わたしがオンラインで視聴したのは、2020年-2021年シーズンの最初のコンサート、9月のガラ・コンサート・・・のはず。会場は御覧の通り、あのときと同じシアトル交響楽団のカラーであるピンクの光に包まれているが客席はガランとしている。

ふと思い出したのは、2015年当時にシアトル交響楽団の音楽監督だった指揮者ルドヴィック・モルローの話。フランス出身の彼は当時、家族とシアトルに住んで、地域の一員としてシアトル交響楽団を率いていた。2011年から2019年まで音楽監督を務めた。

シアトルはニューヨークとは反対の海岸にある。ヨーロッパから地理的に遠い。それでも、地域の一員として音楽活動をすることにこだわった彼の意気込み。それに、「住んでもいい」と思わせる魅力のあるシアトルという都市。

さあ、わたしが何を言いたいのか分かるかい?

東京にはたくさんオーケストラがある。過去から現在まで、大勢の海外出身の指揮者たちが音楽監督や常任指揮者として活躍してきた。そのうち、いったい何人が日本に住んで、オーケストラ団員や関係者以外の現地の人々と交流し、社会を知って、地域の一員として指揮活動をしただろう?

わたしはその答えは知らない。

個人的な予想では、たぶん1人もいないのでは?

ちなみに常任指揮者は英語でresident conductorと言う。まるで「住んでいる」ようなニュアンスを感じるのにな。

日本はクラシック音楽の中心地であるヨーロッパから物理的に遠いから仕方ないと思っていたのだが、自国フランスを離れてシアトルに住んで活動する指揮者を知ったとき、「ああ、やっぱり」と思ったのだった。

何を思ったか?

つまり、海外出身の指揮者にとって、日本は物理的に遠いから住みたくないというだけではなく、とにかく住みたい場所ではないのだ。指揮するときだけ訪問して、関係者とだけ関わって、ファンたちの歓声を受け取って、高級のお寿司を味わって、気分良く国に帰っていく。それが彼らにとっての「日本」だ。

仕方ない。日本は日本語や日本の社会の仕組みを知らない人にとっては住みにくい。世界レベルの教育を受けられる学校もない(子供の教育は音楽家にとって気になる要素の1つだろう。) 知的で刺激的なコミュニケーションの機会も限られている。東京は特に人混みが激しくて落ち着かない。はっきり言って、芸術家が住みたいと思う環境ではない。

(それに、それに、おいしいチーズを入手するのが困難である! とスズキさんが言っている。ちなみにシアトルのスーパーなら普通にナチュラルチーズの塊がゴロゴロ並んでいる!)

 

今の状況のように、人の移動が制限されてしまうと、日本国内で演奏しているのは、ほとんど日本出身のクラシック音楽家ばかりである。例外は配偶者が日本人だから日本に住んでいる外国人演奏家。それから、たまたま日本のオーケストラの団員として日本に居住している外国人演奏家(少ないだろうけど)、音大の教員として雇用されている外国人演奏家(これも少ないだろうけど)など。

一方、日本とは違い、欧米には世界各地からやってきたクラシック音楽家たちが住んでいる。人の移動が制限されてしまっても、世界各地から来た音楽家の生演奏を楽しめる。(新型コロナの影響でアメリカでは生演奏の鑑賞はまだ難しいようだけど)

あらためて、日本はクラシック音楽の発信地ではなく、ただの(便利な?)消費地だったのだと思う。演奏するときだけ来て、さっさっと帰っていく「立ち寄り湯」みたいな場所。日本は、世界の音楽家が自分を成長させたいと思って集まってくる場所ではない。知性や感性を磨くために選ぶ場所ではない。そのような魅力を感じる国ではない。感じるとしても、演奏旅行で短期滞在するだけで満足だろうから住む必要はない。旅先としての価値しかない。ああ、なんだかなぁ。

いつか、このコロナ禍が終わって、新たな疫病が発生する頃には、日本が変わっているといいなぁ。世界各地から素晴らしいクラシック音楽家が日本に移り住んでいるから、国境が閉鎖されても、ほとんど影響なしとか。ああ、ありえない。ぜったい無理だ。

 

シアトル交響楽団のシーズン始めのガラ・コンサートは、毎年音楽監督が指揮していたと思うのだが、今年は違うのだ。ということは、モルローの後任指揮者はシアトル在住ではないのだろう。入国制限等で現地入り出来なかったのかもしれない。

結局のところ、指揮者がオーケストラの本拠地に移り住むというのは珍しいことなのだろう。現代においては、交通が発達して移動がラクなので、わざわざ移り住む必要はなかったのだろう。しかし、これから、移動が難しい状態が何年も続くとしたら、指揮者に拠点を移してもらうことを要求するオーケストラも出てくるのでは?そうすると、ますます日本は不利だ。日本には日本人指揮者・演奏者しか集まらなくなる。

こうしてスズキは今日もまた絶望の中で1日を終える。

おやすみ。

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