鑑賞 “後” 調査メモ:ジェズアルド作曲マドリガーレ第5巻 作曲家「あの後」も衝撃だった

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2020年10月14日、パリのシテ・ド・ラ・ミュジック内にあるコンサートホール、フィルハーモニー・ド・パリ Philharmonie de Paris で、古楽グループの レザール・フロリサン Les Arts Florissants のソロ歌手たちが、マドリガーレの第5巻を歌った。モンテヴェルディ作曲ではなく、ジェズアルド Carlo Gesualdo 作曲のマドリガーレだ。そう、「あの」ジェズアルドだ。

演奏は同ホールのウェブサイトとYouTubeで期間限定公開中。

live.philharmoniedeparis.fr


Les Arts Florissants - Gesualdo Livre 5

歌詞の英語訳(Naxos)

https://www.naxos.com/sharedfiles/PDF/8.573147-49_sungtext.pdf

 

わたしの環境・設定のせいかもしれないが、YouTubeの方は何度も日本のダサいコマーシャルに切り替わって不快で、フィルハーモニー・ド・パリのサイトは時間によって通信が不安定。どちらも一長一短なのでお好きな方でどうぞ。

チームを率いるポール・アグニュー(テノール)とメンバーたちは、2018年10月からジェズアルドのマドリガーレを歌うプロジェクトを開始。第1巻からスタートして1年に2回ずつ公演している。今月の公演は5回目なので第5巻。全員マスク姿で登場してからマスクを外す。短いイントロダクションの後に演奏が始まる。

それにしても、All ジェズアルドのプログラムを全6回(予定)も演奏するプロジェクトがあるとは、さすがヨーロッパだ。わたしは12年のコンサート通いの中で、まだ1度もジェズアルド作品を聴いていない。1枚CDを持っているが、実はまだ聴いてなかった。

でも、作曲家ジェズアルドの名前は知っている。なぜなら彼は殺人を犯した作曲家なので、どうしてもそのインパクトが記憶に刻まれてしまう。たとえ彼の曲を知らなくても。

大昔、わたしがまだテレビという過去のメディアを視聴していた頃、キクゾウさんが「ここで出会ったのも何かの縁・・・」と花魁?の真似をして言っていたのだが、わたしは音楽との出会いも縁だと思う。たまたま旅先や地元でコンサートがあるから行ってみる。せっかく行くのだから100%楽しみたい。だからしっかり事前予習をする。

自宅でオンライン鑑賞するようになってからもシェイクスピアやオペラは出来るだけ事前に予習するようにしているが、他の作品はついつい面倒で何も知らないまま鑑賞してしまう傾向がある。その結果「よく分からないけど凄かった」みたいな感想を持つ。演奏者や関係者は「それでいいじゃん」と言うだろうけど、わたしはイヤだ。

要するに、わたしはジェズアルドのマドリガーレがよく分からなかったので、この機会に少し調べてみることにした。鑑賞 "後" の調査メモを以下にまとめる。

ジェズアルドに関する基本情報

簡潔に述べる。

1566年(←諸説あり)にナポリ王国内のヴェノーザ公国の君主の息子として生まれる。親族には聖職者も多い。次男だったため聖職に就く予定だったが、兄の急死により一族の地位を継ぐ。

最初の妻とその愛人を「現場」で殺害して城に隠居。数年後にエステ家出身の2番目の妻と再婚。ジェズアルドも2年ほどエステ家の本拠地である北イタリアのフェラーラに居住。音楽家たちと交流。自作の楽譜を出版。

その後、地元に戻り作曲を続けるが、家庭内暴力や鬱の問題を抱える。死の2年前、1611年に出版したのが当記事で取り上げるマドリガーレ第5巻と、ついでに取り上げる第6巻である。

ジェズアルドはマドリガーレや宗教曲において半音階や不協和音を多用して激しい感情を表現した。

しばらく忘れられていたが、ストラヴィンスキーを始めとする近代の作曲家たちに注目される。ジェズアルドの人生はオペラなど物語の題材としてもよく使われている。
 

さらに詳しい情報

  マドリガーレ第6巻のCDブックレットより

 2017年に旅先のアムステルダムでヘレヴェッヘ指揮コレギウム・ヴォカーレ・ゲント Collegium Vocale Gent によるモンテヴェルディ作曲のマドリガーレを鑑賞した。マドリガーレは簡単に言えば、詩に合わせて作られたイタリアの歌である。モンテヴェルディ作曲のマドリガーレは楽しかった。事前予習で聴いているうちに、わたしも一緒に歌えるようになった。「ゲラゲラゲラ・・・」(戦い)とか「ミレミレ・・・」(何度も)とか、耳に馴染みやすい。

ヘレヴェッヘがサイン会をするらしい・・・とのことだったのでミーハーなスズキは会場でCDを買ったのだが、結局サイン会は無かった。そのときに買ったのがジェズアルド作曲のマドリガーレ第6巻だった。買ったままCDを聴かずに自宅の棚に放置することになった。サインをもらえなかったので不貞腐れたのではない!生演奏の機会がないと知らない作曲家を知ろうとしないスズキの鑑賞スタイルのせいだ。

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今回こそ、このCDを聴くチャンスだ。(待たせてゴメン!CD!)

フィルハーモニー・ド・パリで演奏されたのは1つ前の「第5巻」なのだが、CDには作曲家やマドリガーレに関する解説がある。同時に楽譜出版された第5巻と第6巻には共通点も多いだろう。

ブックレットを読んで、理解できた内容を以下に箇条書きした。分からない部分は割愛した(笑) わたしの理解に間違いや勘違いがあるかもしれないが、気になるならCDを購入して原文を確認していただければと思う。

 

CDのブックレットより (by Jens Van Durme)

  • 18世紀末のイギリスの音楽史家が「ジェズアルドの音楽は貴族的な芸術道楽に過ぎない」と決めつけたので、長らく注目されることはなかった。
  • 不貞の妻を罰するのは当時のイタリアでは夫の権利というだけでなく、義務でもあった。
  • ジェズアルドは身心の不調に対して「医学的にかなり疑わしい治療法」での治癒を試みた。
  • 16世紀のイタリアのマドリガーレは、ペトラルカの詩の再評価と同時に始まった。その詩の形式の自由さと同じぐらい音楽の形式も自由になった。
  • 通常は4声だが16世紀後半には5声に移行しつつあった。詩の感情的な表現や詩の構成が、以前より重視されるようになった。激しく感情的な詩が要求する音楽を作るため、半音階など極端な表現を多用するようになった。
  • そのような極端な表現を、ジェズアルドは最後のマドリガーレ2冊(第5巻と第6巻)において、要所要所ではなく、常時使用したり、いくつも同時に使用したりしている。各声部が均等な伝統的な多声音楽ではない。
  • ジェズアルドはマニエリスムの典型的な作曲家である。
  • ジェズアルドが出版したマドリガーレ第5巻と第6巻は最新作ではなく、それまでに作曲した作品と思われる。海賊版が出回ったり、勝手に真似されたりすることを受けて、ジェズアルドは出版の必要性を感じた。
  • ジェズアルドのマドリガーレを第1巻から第6巻までを調べれば、それらが彼の作曲家としての進化と一致したものであることが分かる。
  • 第6巻のほとんどの詩の作者は不明(あるいはジェズアルド自身)
  • 第6巻の詩の中心的なテーマは、死によってのみ近づくことができる甘くて苦しい愛。
  • 第6巻は一貫して作曲された構造を持つ曲が多い。最後の行(あるいは半行)が繰り返されることが多い。
  • この作品の様々な要素を合わせたものが強い孤立感を生む。知っていると思っていたものが、不確かになって、聴いている人は霧の中に迷い込んだようになる。そういう点においては、アルチンボルドの静止画と比べるのが妥当だろう。
  • ジェズアルドは、(多声音楽から)独唱へと向かっていく音楽界の動きを知っていたと思われるが、彼は古いスタイルでマドリガーレを作曲し続けた。

 

少し補足する。

  • 医学的にかなり疑わしい治療法」・・・後述する。
  • 5声 ・・・ ジェズアルドのマドリガーレ第5巻も第6巻も5声。
  • マニエリスム ・・・ 美術史には疎いのだが、わたしの理解は以下の通り。
    ■ ルネサンス時代の前半に芸術家たちは完全な美と自然と調和を達成してしまった。完全な美はもう驚くものではない!
    ■さあ、芸術家たちは、それ以上に何を表現しよう!?どうすればインパクトを与えられる?
    ■→ よし!誇張してみよう。歪めてみよう。

    それがマニエリスム。ただし、わたしにはマニエリスムと、それに続く次の時代、つまり躍動感あるバロック時代との違いがよく分からない。同じ時代と見てはいけないのだろうか。音楽の世界ではあまり「マニエリスム」という言葉は聞かないが、時代的に、作風的に、ジェズアルドは後期ルネサンスの中でもマニエリスムということらしい。
  • アルチンボルド  ・・・ ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1592)は、果物や野菜などを組み合わせて肖像画を描いた。マニエリスムを代表する画家。個人的には、どうしてもジェズアルドというと、比較対象の画家としてはカラヴァッジョを連想する。身分は違うが、それぞれ殺人を犯した同じ時代の芸術家。
  • 古いスタイル ・・・ 後述

 

  ジェズアルドに関する本

妻とその愛人の命を奪ったという話は、暴力的な場面があるイタリアのヴェリズモ・オペラのようだ。たとえばマスカーニ作曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」では妻が別の男と通じていることを知った夫は男に決闘を申し込み、決闘で男は死んだ。

そんなことを思い浮かべながら”Gesualdo"というキーワードで本を検索していたら、作曲家のジェズアルドより先にMastro Don Gesualdoという題名の小説が検索結果の上位に表示された(ダメだなAmazonの検索機能も)。どうやら作曲家とは関係ない小説らしい。人間らしい繋がりを無視して金持ちになることばかりに集中する男の話。

ところが、この小説の作者ジョヴァンニ・ヴェルガを調べたら、なんと「カヴァレリア・ルスティカーナ」の原作者だった!ひょっとしたら作曲家のジェズアルドから主人公の名前を付けたのかしら?

 

注目したいのは、CDのブックレットにも言葉が引用されていたグレン・ワトキンス Glenn Watkins (米国1927~ )の著書2冊。

彼は作曲家ストラヴィンスキーとジェズアルドについて語ったことがある。1973年に出版(初版)された Gesualdo: The Man and His Music の序文はストラヴィンスキー本人によるものである。その序文の一部がAmazonの「試し読み」で公開されている。

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読み切る自信がないので購入はしなかったが、「試し読み」を一部読んだ。ストラヴィンスキーは、ナポリの作曲家ポンポニオ・ネンナがジェズアルドに与えた影響や、そのほかの当時の作曲家のこと、詩の単語、マドリガーレ第6巻の構成、ジェズアルドの当時の演奏スタイルの再現の難しさ、2度イタリアのジェズアルド城を訪問したことなどを述べている。(難しいのでわたしにはよく分からなかった・・・)

グレン・ワトキンスの2冊目のジェズアルド本 The Gesualdo Hex: Music, Myth, and Memory は2010年に出版された。1冊目も2冊目も日本語版はない。この2冊目は(英語圏では?)話題になったようで、関連する英語記事がネット上に見受けられる。

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Hex とは衝撃的な単語である。なぜならこれは魔術を意味する単語だから。CDブックレットに書かれていた「医学的にかなり疑わしい治療法」というのは、つまり魔術のこと。

本の検索で見つけたジェズアルドを主人公にしたフィクションのコメント欄(Amazon)で「ジェズアルドはシェイクスピアと同時代」と書いていた人がいて、わたしも「そうか!」と思ったのだった。シェイクスピアは「マクベス」で魔女たちを登場させていた。時の王様ジェームズ1世は黒魔術研究などを行っていて、その方面に関心が高かった(論文まで書いた)。そのジェームズ1世の前で上演したと思われるのが「マクベス」だからだ。魔術的なものが一部の特権階級において身近だった時代なのだろう。研究していた人がいたり、気色悪い儀式を実行する人がいたり。

その辺について、本を読めば分かるのだろうけど、やはり読み切れる自信がないので購入していない。代わりに、2010年発売当初に書かれた関連記事を読んでみた。

 

  本の内容を含むネット記事

www.theguardian.com

ジェズアルドに関する文章では、彼は召使いに頼んで鞭打たれていたという話があるが、それ以上の話が本には含まれている。イギリスのガーディアン紙では、本からの抜粋と思われる「儀式」の場面の文章を掲載している。ジェズアルドの「儀式」の相手が魔女裁判にかけられて告白した内容だ。(ジェズアルドは特権階級なのでお咎め無し。)ただし、儀式の部分は読まない方が良い。知らない単語があったら知らないままで良い。読んでしまったら、速攻忘れられるように努力しよう。 「マクベス」の魔女たちが作っている吐き気がするポーション並みにグロテスクである。

それ以外の部分から一部情報を抜粋して箇条書きする。

  • ジェズアルドのように夫が不貞の妻を殺害したというのは当時のイタリアでは比較的よくあることだった。
  • 2度目の結婚ではジェズアルドの方が妻以外の人間と関係を持っていた。
  • 裁判にかけられた女性2人は有罪判決を受けてジェズアルドの城に投獄された。(つまり、例の儀式を続行したのだろう。)
  • 20世紀の音楽評論家や作曲家は、ジェズアルドの音楽を、元祖セリエル音楽であると考えた。

著者ワトキンス氏は、いつからジェズアルドと魔術の関係を知っていたのだろうか。ひょっとしたら、昔から知っていたが、ジェズアルドを称賛するストラヴィンスキーが生きているうちは言えなかったとか? 

 

www.therestisnoise.com

今度はニューヨーカー誌に掲載された Alex Ross 氏の記事から内容を一部抜粋する。

  • ジェズアルドと従者による殺害場面は惨憺たる光景だった。(詳細は読まない方が良い。例の儀式についても読まない方が良い。)
  • 2人の殺人の後にさらにおぞましい殺人を犯したという話もあるが、おそらくただの噂だろう。
  • 近代以降、ジェズアルドは継続して注目されているが、この現象は彼の人生によるものなのか、それとも作品か?ジェズアルドが殺人を犯さなかったら、これほど彼の作品に注目しなかっただろう。一方で、彼の作品が衝撃的でなかったら、彼のやったこと(殺人)にも注目しなかっただろう。
  • ナポリのジェズ・ヌオーヴォ教会にジェズアルドの墓がある。
  • ジェズアルド城は1980年の地震で大きな被害を受けた。記事の著者が訪問した2010年は工事中で、一般公開はしていなかった。(交渉して特別に入館させてもらった。)
  • Susan McClaryの2004年の本によると、マドリガーレの転機は、イタリアで成功したフラマン人の作曲家 Jacques Arcadelt の作品で、詩の中で言葉に「二重の意味」を持たせている。二重の意味を持たせるというのはルネサンスの典型的な表現。
  • フェラーラの作曲家Nicola Vicentinoは、1555年に本でギリシャ音楽理論(全音階、半音階・・・)の復興について述べ、1オクターブを12音ではなく31音に分けた。Vincentinoが開発した鍵盤楽器をジェズアルドも所有していた。ジェズアルドは楽譜に微分音は入れなかったが、Vincentinoの31音に興味を持っていたと思われる。
  • 1628年の論評によると、モンテヴェルディは「ジェズアルドのスタイルをよりアクセスしやすくするために和らげようとした」とある。
  • ジェズアルドはアヴァンギャルドというイメージがあるが、最近の流行より古いものに立ち戻る人でもあったと言える。記事の著者の旅に同行した音楽学者は「ジェズアルドは保守的で、モンテヴェルディが過激で新しい。当時の詩人Guariniは、モンテヴェルディのモダンなスタイルよりジェズアルドの音楽が好きだと手紙に書いている。いま私たちが思っているのと逆のことを言っている。」と言った。
  • 独唱は初期バロックを象徴するものだが、ジェズアルドは多声音楽の方を好んでいる。
  • ジェズアルドのマドリガーレのLive演奏はとてつもなく難しい。ピッチがずれ易い。(録り直しが可能なレコーディングの方がまだ簡単)
  • 多くの批評家たちはジェズアルドのマドリガーレ第5巻と第6巻は自叙伝であると言っている。音楽による日記を書いた最初の作曲家かもしれない。
  • 本の作家ワトキンスは、ジェズアルドを暴力的なサイコパスとは考えていない。「ジェズアルドの後半の作品は苦しみに耐えたり懺悔する様子を回想している。」と言う。
  • 同じく1611年に出版されたジェズアルドの宗教曲 Responsoria は、ほとんど受難曲であるとワトキンスは言っている。
  • カラヴァッジョとジェズアルドは、殺人を犯した芸術家というだけでなく、宗教的な芸術表現の情熱も共通点である。
  • ストラヴィンスキーはジェズアルドのマドリガーレの半分ほどを手書きで書き写して彼の音楽を学んだ。ストラヴィンスキーの晩年の作品を「無調」というのは間違っている。むしろ後期ルネサンスのような過去のものに没頭していた。
  • 最近の発見によると、ジェズアルドの最初の妻とその愛人が殺された場所は、これまで信じられていた場所と違い、ナポリのサン・ドメニコ・マッジョーレ教会に隣接する場所であると判明。殺された2人の家族は復讐する代わりに教会に尽くしたのかもしれないと、ある研究者は言っている。
  • ジェズアルドに殺された妻の一族が現在も存続している。記事の著者たちが訪ねた。

数か所アンダーラインを引いた。言葉に二重の意味を持たせるというのは、同時代であるシェイクスピアでも同じである。また、CDブックレットで書かれていた「古いスタイル」でジェズアルドが作曲していたということについても、この記事の内容から理解できる。

いつか南イタリアを旅するとき、テーマはジェズアルドになりそうだ。(ああ、いつか本当に再び自由に一人でヨーロッパ旅を楽しむことができるのだろうか。もう絶望しかない。)

 

マドリガーレ第5巻&第6巻の詩より

ジェズアルドに限ったことではなく、詩というのは小説などよりはるかに理解が難しい。限られた言葉で溢れる想いを伝えようとしているのだから当然だ。何度読んでも意味不明な部分もあるのだが、少しずつ分かってきた部分もある。

動画の下に貼ったナクソスの英語訳とCDブックレットの英語訳を参考にしながら、ジェズアルドの美しき "ネガティブ" なフレーズをピックアップした。かなり暗いので苦手ならスキップするべきだろう。

なお、前述の通り、ルネサンスの詩には1つの言葉に2つの意味がある場合がある。つまり「死」は性的な意味も含むらしい。その辺は当ブログではあまり触れないでおこう・・・

カッコ内は主に英語訳やGoogle翻訳(イタリア語→英語)をベースにしたテキトーな拙訳。わたしのイタリア語は超初級レベルなので直接翻訳するのは無理だ。番号は曲の番号。

第5巻

1.

Gioite voi col canto,
mentre piango e sospiro

(わたしが溜息をついて泣いているとき、あなたは嬉しそうに歌っている!)

5.

O dolorosa gioia,
o soave dolore

(おお、苦痛な喜び!おお、優しき苦痛!)

動画の演奏を聴いて最初に気に入った曲。激しい曲調が気になって。詩はその後、ますますエスカレートして「苦痛よ来てくれ!生でも死でも苦痛は甘いぜ」みたいな感じになっている・・・

9.
Mirate almen ch’io moro

(せめて、わたしが死ぬときぐらい、わたしを見て!)

11.

potessi dirti pria ch’io mora: “Io moro”

(わたしが死ぬ前にあなたに「わたし、死にます!」と言えるなら・・・)

これは1人で死ぬ場面。誰もいない。意識が朦朧とする中で唯一の望みを呟いて曲を終えるところ。

15.
Tu m’uccidi

(あなたに殺される!)

こんな言葉で始まる歌。強烈過ぎる。さらに「あなたはわたしが静かに死ぬと思っているのか!?叫んでやるぜ "愛に生きた男が死ぬ!" と」と続く。

第6巻

1.

Se la mia morte brami,
crudel, lieto ne moro,
e dopo morte ancor te solo adoro.

(ヒドイ・・・わたしに死んでほしいなら死ぬよ、喜んで。死んでからもあなただけを愛するから。)

Ma se vuoi ch’io non t’ami,
ahi, che a pensarlo solo,
il duol m’ancide e l’alma fugge a volo.

(でも、もう愛するのをやめてほしいなら、そんなこと考えるだけで悲しみで死んじゃうし、魂が飛んでいっちゃう。)

7.

 Mille volte il dì moro

(おれは1日に千回死ぬ)

死に過ぎだろ!

17.

chi dar vita mi può, ahi, mi dà morte

(わたしに生をもたらす人が、わたしに死を与える)

 

この17曲目の後、まことに不思議なことに、生き生きと明るい雰囲気が漂う曲が続き第6巻が終わる!若干の憂いは感じるが、信じ難いほどポジティブだ!鈍感なわたしが裏の暗さに気付けないだけなのかもしれないが・・・

選曲も曲順もジェズアルドが決めたはず。マドリガーレの曲集の最後を、意図的に明るい雰囲気で終えたということか?死の2年前の出版だが、47歳で死去したジェズアルドがこの作品が自分の最後の出版になると思っていたかどうかは疑問だが、そうなるかもしれないと思っていた可能性はあるだろう。

死と生、愛、苦しみなど、特定の言葉が繰り返し現れるのだが、その中で気になる単語がもう1つある。Sorte (英語 fate = 運命)という言葉だ。ジェズアルドは自分の運命を嘆いていたに違いない。ここで彼の運命を振り返ってみよう。

聖職に就く予定だった → 兄が若くして亡くなったので家督を継いだ → だから結婚もした → 妻の不貞 → 風習通りに妻と愛人を「処分」(殺害) → 再婚 → 音楽中心地フェラーラで音楽交流、作曲、楽譜出版 → 地元に戻る → 家庭内暴力、身心の不調 → 魔術・魔女に頼ったり鞭打たれたり → 地元をフェラーラのように音楽で盛り上げることはできなかったので孤独 → 楽譜出版 → 死

ジェズアルド本人が書いたと思われる詩の中で、彼が求めていたのは誰の愛なのだろう?ジェズアルドが殺した最初の妻?ジェズアルドが暴力を振るった2番目の妻?儀式の相手である魔女たち?命令通り鞭打ってくれた使用人?若い男とか?

改めてウィキペディアの日本語&英語(英語は「要出典」という注書きだらけで、日本語はその英語をベースに訳されたものらしい)を読むと、ジェズアルドは音楽に「しか」興味なかったとうことが書かれていることに気付く。

ジェズアルドが詩の中で愛を注いでいた相手、愛の対象は、人間ではなく「音楽」そのものなのかもしれない。とすると、彼が自分の運命を嘆いていたのは次のような想いからなのでは?

音楽に浸って生きていきたかった → 家を継ぐために結婚しなければならなかった → 結婚したら妻が不貞をはたらいた → 音楽に集中したかったのに、殺人という行為をしなければならなかった

惨憺たる殺害現場の様子は、愛する妻に裏切られた恨みではなく、音楽に集中したかったのに「俺にこんなことさせやがって」「邪魔しやがって」という恨みなのでは?

音楽にしか興味ない?! それってわたしのことかも?! あるいは、こんな記事をここまで読み進めてしまったアナタのことかも?!

殺人を擁護する気はまったく無いのだが、ジェズアルドがまったくの他人とは思えない。好きな音楽に集中すればするほど誰とも話が合わなくなって孤立していくのは、わたしと彼の共通点である。

 

 

ここまで知ってから動画を観ると、ポール・アグニューが冒頭で喋っている内容も少し分かってくる。たぶん彼は「ストラヴィンスキーはジェズアルドの音楽を当時としては最もモダンなものだと言ったが、それはどうかな?モダンかアンティークかは、皆さん自身で判断してください」と言っている。(フランス語なのでわたしにはあまりよく分からないから自信ないけど・・・)

この1週間、わたしは第5巻を動画で、第6巻をCDで、それぞれ3~4回聴いた。それでもまだ「歌えない」のである。歌いやすいソロ的な部分が多いモンテヴェルディのマドリガーレとは違う。ジェズアルドのマドリガーレも、いかにもソロが始まりそうな強さや勢いを感じる部分があるのだが、すぐに別の声が入り、多声合唱が展開される。モダンかアンティークかというと、いろいろ調べた結果の影響もあるが、やはりアンティークなのだというのがわたしの結論。

「歌えない」けど、ところどころ「お気に入り」の部分を発見したので、鑑賞はだいぶ楽しくなってきた。

ポール・アグニューたちは引き続きプロジェクトに取り組み、おそらく来年2月には最終回となる第6巻をパリで歌うのだろう。オンラインで視聴可能だと思う。それまでに、さらにCDを聴き込んでおきたい。

 

さらに深く知りたい場合は

それなら以下の本を頑張って英語で読んでみよう。あるいは、古楽の専門家に翻訳してもらえるように提案してみよう。ジェズアルドに関する日本語の本格的な本はほとんど存在しないようだ。1冊ジェズアルド本があるようだが、本格的で専門的な内容かどうかは不明。

あってもいいはず。モンテヴェルディの本は日本語訳で読んだことあるのでジェズアルドもぜひ。 

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