鑑賞メモ2020年|ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」メトロポリタン歌劇場

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昨日、2010年に上演されたニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)の「ボリス・ゴドゥノフ」をオンライン鑑賞した。24時間限定の公開。ただし、同じ作品が既に何度も公開されるケースもあるので、見逃してもまた鑑賞のチャンスはあるだろう。何しろMETでは来年9月までオペラ上演はないのだから。

主演は「トリスタンとイゾルデ」のマルケ王を観てからすっかりお気に入りのバス歌手 René Pape ルネ・パーペ。

この作品を鑑賞するのは2回目である。

1回目は今年4月に期間限定で公開されたバイエルン国立歌劇場の制作。そのときは字幕がドイツ語で上演言語はロシア語だったのでイマイチ理解できていなかったのだが、有難いことに日本語のウィキペディアが充実していたので参考にした。大筋は掴めた。主役ボリスを歌ったバス歌手はボリス役としては若い歌手だったのだが、印象に残ったので2回も観てしまったのだった。Alexander Tsymbalyuk アレクサンドル・ツィムバリュク というウクライナのオデッサ出身の歌手。ようするに、また惚れ込んでしまったのだ。。

METではもちろん英語字幕なので、今回の鑑賞でようやくリブレットの内容理解がだいぶ進んだ。また、バイエルンでは1869年原典版(2時間強)、METは1872年改訂版(3時間強)なので、版の違いも確認できた。

チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」と同じプーシキン原作のオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」は、わたしの中で人気急上昇の作品なのだ。プーシキンが描く苦悩する男が主人公の作品がわたしの好みに合うらしい。

「ボリス・ゴドゥノフ」は、日本では(海外でも?)上演の機会が少ない作品だと思うが、日本語のウィキペディアが充実しているということは、国内でもそれなりにファンがいるのだろう。ムソルグスキーの音楽は魅力的でオペラとして見応えがある。ぜひとも日本のオペラプロダクションの皆さんに上演を検討していただきたい。

でも、ロシア語のオペラはロシア語というだけでハードルが上がるし、ボリス役を歌えるバス歌手も希少なのだろうと想像する。バス歌手が主役のオペラは極めて少ない。特に若いバス歌手向けの役は、主役に限らずオペラ全体的に少ない。経験を積む機会が限られいる。それなのに、ボリス役は高い表現力を求められる難しい役である。バイエルンとMETの上演を観てそう思った。

ボリスは、一瞬だけ家族の前で父親らしい優しさを見せる場面以外は、常に憂鬱で不安を抱えてピリピリしている。そして、少しずつ崩壊していく。時間をかけて苦悩を増しながら死に向かっていく。

わたしはシェイクスピアの死のシーンに注目して記事を書いているが、シェイクスピアにしろオペラにしろ、死のシーンのほとんどは自殺か他殺である。自殺や他殺の場面は短く劇的で演じやすそうだし、客に与えるインパクトも強い。舞台映えする。

ミミやヴィオレッタのように病死する役は少ない。病死するのは女性が多い。

また、ヴァーグナー的な「死=救済」という世界では自殺ではなくても意味的には自殺に近いと考えられるだろう。

一方で、ボリスの死は上記のどれでもない。追い詰められて、幻覚を見るようになって、何の救いもないまま、長い時間をかけて苦しんで、死に至る。

そんな役を歌えるバス歌手は希少だからこそ、それをこなせる歌手に惚れ込んでしまうのだろう。

 

作品の解説はウィキペディアを始めとする他のサイトでご確認いただければと思う。でも、面白いので歴史上の流れを少しだけ記載したい。

ボリス・ゴドゥノフ (オペラ) - Wikipedia

1584年 イワン雷帝が没する。イワンの息子フョードル(軽度の知的障害)が戴冠。

1591年 イワンのもう1人の息子(フョードルの異母弟)ドミトリーが8才で謎の死(オペラでは7才となっていたような?)

1598年 フョードル死去。子はいなかった。摂政だったボリスが全国会議で選出され戴冠する。

1601~1603年 ロシア飢饉。ボリスの娘の許婚(デンマーク王子)死去。数々の災難の原因は「ボリスがドミトリーを殺して戴冠したからだ」という噂が広まる。

1604年 偽ドミトリー(1人目)登場。「ドミトリーは生き延びた。自分こそがドミトリーで正統な後継者」と主張。

1605年 ボリス死去。偽ドミトリー(1人目)戴冠。

1606年 偽ドミトリー(1人目)殺される。

1607年 偽ドミトリー(2人目)登場。

1611年 偽ドミトリー(3人目)登場。

スズキのツッコミ1:偽ドミトリーが3人もいる!?!?

スズキのツッコミ2:偽ドミトリーが本当に戴冠しちゃった!?!?

ロシアの歴史は面白い。今後さらに勉強したい。

イワン雷帝については2年前に映画を観た。1940年代に制作された映画で、音楽担当はプロコフィエフ。

このオペラの主人公ボリス・ゴドゥノフという興味深い人物についても少し補足したい。

地方の下級貴族出身からイワン雷帝の顧問官に出世したというのだから、有能で頭の良い人だったらしい。一方で「猜疑心が強かった」とも書かれている。「西洋の文化に心酔」していたので、子供たちの教育も西洋に倣ったとウィキペディアにある。

ボリスが皇子ドミトリー殺害を命じたかどうかについては、現在では「ノー」という見方が有力。プーシキンが原作を書いた頃(1831年)、ムソルグスキーがオペラを作曲した頃(1870年前後)はどうだったのだろう?

原作は読んでいない。オペラでは黒か白かについては、はっきりさせていないが、「ボリスが殺害を命じたわけではないのに、ボリスが命じたという噂が人々の間で信じられている」という前提でストーリーが成り立っているように思う。

自分のせいではないのに、ついに死んだドミトリー自身の亡霊までもが自分を責めている・・・ボリスは幻覚と妄想に陥っていく。

いつの時代でも同じことだが、飢饉で殺気立つ民衆は何か攻撃対象が欲しい。今の君主(ロシアでは「ツァーリ」という)が不当に即位したから飢饉が起こったと思い込みたい。「偽ドミトリー」を奇跡の救世主のように信じてしまう。

飢饉は誰のせいでもない。ボリスは残念なタイミングで権力の座に着いてしまったのだ。不幸なツァーリだったが、その不幸な人生のおかげで彼は芸術の世界で有名な歴史上の人物となった。

 

前置きが長くなってしまったが、METの上演について箇条書きで鑑賞メモを書く。

  • オーソドックスで豪華絢爛な舞台セットと衣装だった。ツァーリの帽子のような冠(?)も、肖像画で見るように、キラキラ宝石が輝く大きな冠。(バイエルンでは現代的だった。例えばボリスの娘クセニアを演じた中村恵理さんは黒のロングブーツに暖かそうな白いコートという姿だった。)

  • 書物だけが通常とは違うサイズ。人間と同じぐらい大きい。ピーメンは、自分と同じぐらい巨大な年代記を開き、ページの上に座って執筆していた。

  • ボリスの息子役は少年が歌った。(バイエルンでは大人の女性歌手だった。)

  • ようやく白痴という役のイメージが掴めた。ボリス役の演技も重要だが、白痴の演技も重要だと思った。そもそも「白痴」という訳では、わたしにはよくわからない。英語の Holy Fool の方が納得できる。それを日本語にした「聖愚者」だと、これまたよく分からない。Holy Foolを演じた歌手は純粋な瞳で訴えるように演技していた。バイエルンでは白痴は子供たちにいじめられた上に殺されてしまったが、METは改訂版で上演したので、オペラの最後を締め括ったのは、なんと白痴の歌だった。

  • 原典版にはない最後の場面「革命の場」の民衆は目を覆いたくなるほど、耳を塞ぎたくなるほど、暴力的だった。このオペラは過激な表現が定番なのだろうか。バイエルンでは子供たちの1人にピストルを持たせて白痴を射殺させるというショッキングな場面があった。METでは「革命の場」まではそれほどショックな場面はなかったのだが、「革命の場」は残酷だった。死んだボリスの仲間たちが民衆になぶり殺される場面。殺し合いをさせる場面。芸術の世界も、ソーシャルメディアと同様に、過激なことをやらないと注目されないという方向に進んでいるのかもしれないが、わたしは過激な表現ではなくてもメッセージを感じ取れる鑑賞者でありたい。

 

 

知りたいこと

バス歌手主役のイチオシオペラを教えてください。

名脇役としてのバス歌手も魅力的だが、もっとバス歌手の魅力を堪能したい。オペラ以外でも可。でも、寄せ集めの名曲メドレーは除外。

 

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