PRESIDENT Online 【日本のクラシックは「オタク」に殺されつつある】を読んで

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その「オタク」って、スズキのことかしら?

いや、文章の中で取り上げられているのは評論家やジャーナリストなので、「情報発信者」とは言っても、誰も読まない不人気ブログを書いているワタシのような人は違うよね?(笑)

 

わたしがクラシック音楽に夢中になったのは2008年からである。クラシック音楽という世界を発見したわたしは、むさぼるように、音楽の洪水を受け止めようと、必死になってクラシック音楽を追いかけた。東京で演奏される音楽を時間と財布が許す限り聴きまくった。幸せだった。あの頃は。

 

では、なぜわたしは今、わざわざクラシック音楽のためにヨーロッパ旅を繰り返すのか。

日本のクラシック音楽界に飽きてしまったのだろうね。

でも「完全に」飽きたとは言えない。なぜなら、わたしは今も結局まだ日本でコンサート通いをしているのだから。

ロンドン旅の準備で多忙だったので「東京・春・音楽祭」のプログラム発表・チケット発売開始を知らなかった。先週末ようやくスケジュールを確認。行きたい公演を見つけてしまったのでチケットを手配した。ただいま予習の準備中。(アレとアレに行くのよ!わかるでしょ!?)

もう十分楽しんだから行かなくていいと思っていたゴールデンウィークの「ラ・フォル・ジュルネ」についても、先行公開された公演を確認して、やっぱり行こうかしら、なんて思っていたり。。。

それでも、わたしのクラシック音楽探求の中心はすでにヨーロッパに移っている。国内のコンサートスケジュールより、ヨーロッパの音楽祭などのスケジュールが気になったり。実際に行けないとしても、誰が、いつ、どこで、何を演奏するのかという情報は、見ているだけでワクワクするよね?

 

リンクの記事は指揮者の大友直人さんによって書かれたもので、大友さんは、むかしの日本の状況を高く評価している。

わたしは、前述の通り2008年からクラシック音楽ファンなので、むかしの状況が良かったかどうかは知らない。すばらしい演奏家、教育家、評論家がいたらしいが、わたしはそんな人々には興味ない。むかしの評論家が書いた評論を読みたいとも思わない。

それより、引き続き、さらにヨーロッパ言語を極めて、ネット上でクラシック音楽やその周辺のあらゆる記事や動画から直接情報や知識を入手したい。評論より、あらゆる本を読んでクラシック音楽の背景にあるヨーロッパ文化の理解を深めたい。そして、万年非正規雇用の氷河期オバサンのくせに、引き続きヨーロッパを旅したい。せっせとヨーロッパ旅を企画して、その準備と現地での経験を通して刺激を受けて、さらに知性と感性を磨き続けたい。だから、日本では物足りないのだ。巨大都市東京にいるのに、退屈しがちなのだ。できることならヨーロッパに移り住みたい。

 

リンクの記事の内容をわたしが日ごろ感じていることに関連付けて言うなら、つまり、日本にはクラシック音楽の魅力を伝えるコミュニケーション能力のあるクラシック音楽関連の人材が極めて少ないということなのだろう。(演奏が凄い、仕事ができる、真面目、人柄が良い、頑張り屋さんなどは日本の音楽界に山ほどいるのにね!!←皮肉)

未来を見つめて、大友さんはこう言っている。

(抜粋)

中学生や高校生のような若い世代に、知識や社会観、自分が理想とする音楽観を伝えたり、議論してみたりすれば、そのなかから次の時代を担ってくれる人材が生まれるかもしれません。

思うのだが、そもそも、日本にはあまりいないのです!

「知識や社会観、自分が理想とする音楽観を伝えたり、議論してみたり」ということができる大人が!

クラシック音楽は、知識、社会観、音楽観とか、そういうものを深めていくものであって欲しい。強くそう思う。

簡単で楽しくって、何にもわかんなくてOKというのはイヤだ。(リンクの記事を丁寧に読まずに早とちりしてしまう人は「簡単」を目指そうとしてしまうのだろう。それはダメよ!)

大友さんがおっしゃるとおり、魅力的な大人が不在という状況は、クラシック音楽界に限らず他の分野でもそうなのだろう。わたしも思う。わたしが近年悩まされている絶望感の原因の一部もそういうことなのだ。この国には何も希望がない。

コミュニケーション能力の低さは、我々クラシック音楽ファンもそうなのだろう。クラシック音楽という分野をさらに細分化した小さなコミュニティで同類同質同士で語り合うことはあるけど、人々はその細分化コミュニティを出ない。ましてや、クラシック音楽の外にいる人間にクラシック音楽の魅力を共有しようなどとは誰も思わない。自分がエンジョイできれば、それでOK。それだけ。わたしがクラシック音楽を聴き始めた2008年頃のクラシック音楽ファンは今ほど閉鎖的とか排他的では無かったように記憶しているけど、この十年ちょっとの間にも変わってしまったのでしょう。みんなも、わたし自身も。

演奏家たちの世界も閉鎖的なコミュニティなのではと思う。わたしは、たまに演奏家と客との間に大きな隔たりを感じる。演奏家たちは自分たちが楽しければ十分で、演奏家同士で刺激を受け合うので、客には興味ない。チケット買ってくれて、うれしそうな顔で拍手してくれれば十分。「お客さんはそこにいるだけ」「雰囲気だけ楽しめばいい」だから、そこに深いコミュニケーションは生まれない。これが当たり前といえば、そうなのだろうけど、客であるスズキはたまに虚しさを覚える。

その他のクラシック音楽関係者もなんだかなぁ。すばらしい人々もいるのだけど。毎年同じような演奏家ばかり来日したり、せっかくの良い企画なのに宣伝が下手で空席が目立つ公演とか、評論家が取り上げるのは仕事として依頼された内容と自分の個人的な友達の応援ばかりとか。

 

日本のクラシック音楽界はこれからどうなるのでしょう。

そしてわたしはどうすればいいのでしょう。

どうせ移住の夢は叶わない。

 

(以上、「しばらく記事の投稿はない」と宣言したのに書いてしまいました。)

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