シェイクスピア 死の シーン | 序文

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「死にたい」

 

そんな気持ちを他人に否定されるのは我慢ならない。自分の感情は自分の所有物である。何をどう感じようが、わたしの勝手だ。他人に自分の領域を侵略されるのは不愉快だ。

自分にとって大事なものが一気に消えてしまった。もう生きる意味がない。 

わたしはしばらくヨーロッパには行けないだろう。超特急で開発された怪しげなワクチンの接種や感染有無を調べる検査を何度も受けて、常に感染予防対策に神経を使って、何とかヨーロッパに辿り着いても、わたしを魅了する本格的で芸術的なコンサートは、もうそこには無い。あるのは、出演者も客席も回数も濃厚接触な演出も減らした、お気楽な簡易版コンサートのみ。近所で聴くなら良いかもしれないが、多大な労力と旅費をかけて体験したいものではない。

それだけではない。来日演奏家による日本での演奏も消えてしまった。もう、ヨーロッパの演奏家たちは、半永久的に日本には来ないだろう。音楽に限らず、オンラインで出来ることは何でも全てオンラインでやるという方向に世界は向かっている。演奏家たちは、演奏旅行に明け暮れた過去を反省しているだろう。これからは大事な家族のそばで生きていく。演奏旅行もせいぜい欧州内に留める。それが「あるべき姿」だと、ステイホーム期間が教えてくれた。演奏家にとっては幸せなことかもしれないが、わたしにとっては悪夢だ。

 

こんな想いをするなら、愛するものと出会わなければよかった。旅や生演奏と出会ってしまったことが悲劇の始まりだった。ヨーロッパ音楽旅と来日演奏家によるコンサートを愛し過ぎたがために、わたしは、立ち直れないほどの絶望に陥ってしまった。自宅で音楽鑑賞をするのが好きなクラシック音楽ファンなら、今の状況にほとんど影響を受けることなく、気楽に音楽を楽しんでいただろうに。出会ってしまったことが不幸だったのだ。

人間は変われない。旅や生演奏という「本番」の楽しみを味わってしまったわたしにとって、この四角い板(パソコンやスマホ)は、情報収集の道具でしかない。生きる目的ではない。大きな感動を与えてくれるものではない。インターネットで鑑賞できるのは有難いが、いつか再び生鑑賞できる日のための予習か、ただの気休めとしか思えない。本番お預けで予習ばかりなら死んだ方がマシだ。

こうして、わたしは大嫌いな日本に閉じ込められて、死を願うばかり。

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 「人生は素晴らしい」とか、「生きているだけで幸せ」とか、そういったことを他人に押し付けようとするキラキラ族たちが目障りだ。わたしを洗脳するつもりだろ。その手には乗らないぞ。そんなヤツらには、こう言ってやろう。

A plague on you!

plagueはプレイグと発音する。意味は「ペスト」ですよ。つまり、このフレーズは「おまえらなんか、ペスト菌でも付いてしまいやがれ!」という呪いのコトバ。シェイクスピア作品の頻出単語の1つである。例えば、『ロミオとジュリエット』で、ロミオの友人マーキューシオは死の間際に、こう言った。

A plague on both your houses!

「どちらの家も呪われろ」ということだ。マーキューシオは、本来なら中立な立場なのに、モンタギュー家とキャピュレット家の争いに巻き込まれて死んでしまった。そのマーキューシオがどんな人物だったかというと・・・おっと、話が長くなるから、また別の機会に。

さあ、キラキラ族に a plague on you という言葉をぶつけてやろう。そうしよう。

 

心配しなくても良い。せっかく覚えたのに、人を罵倒する言葉はリアルな世界で使うことが出来ないから、こうしてブログ内で使ってみたのだ。

それに、こうして堂々と「死にたい」と叫べる人は、たぶん死なない。たとえ死んだとしても、すでに存在していないような存在なのだから、たいしたことではない。気にするな。

 

スズキは新たな素敵なテーマを見つけた。そうだ、死について語ろう。今の自分にぴったりのテーマだ。オンラインで鑑賞したシェイクスピアのお芝居(英語版)を振り返りながら、オペラなどの話も出す予定である。誰も興味を持たない、誰にも理解できない、スズキの世界を綴っていこう。やれやれ、クラシック音楽やオペラに続き、また世間一般の人々と合わない趣味を作ってしまった。

 

芸術には死が溢れている!

芸術はエンタメとは違う。エンタメは徹底的に「生きる」を肯定しなければならない。ポジティブ思考を強要しなければならない。辛いことや悲しいことがあっても、生きていることは素晴らしいという結論に結び付けないと世間から叩かれてしまう。

一方、芸術の世界では、死への憧れを表現することが可能なのだ。なんという自由な世界だ!大好きだ!

ただし、これは芸術に関わる人々が自殺願望を持っているという意味ではない。芸術の世界は、人間が当たり前に持つ感情の1つとして、「死にたい」という感情が存在するということを、否定しない。だから死を作品の中に取り込む。死は美しく芸術的だから、作品に含めたくなる。古今東西、芸術家たちは、生まれる場面などより、死の場面ばかり表現してきた。音楽界、文学界、絵画や彫刻などの美術界、みんな死が大好きなのだ。それがエンタメとは異なる芸術の世界だ。

 

今回のシリーズで取り上げる作品については、新型コロナ感染症の世界的な流行を受けて、今年の春から夏に期間限定で公開された動画を通して鑑賞したものが中心となる。全編のシェイクスピア劇を公開していたのは以下の3つの劇場。

シェイクスピア・グローブ座(イギリス ロンドン)
シェイクスピアが活動していた劇場を再現した劇場。メインは屋外劇場。わたしは今年1月に屋内の小劇場で『リチャード三世』を観劇した。それが今回シェイクスピアに夢中になる最初のきっかけだった。名称は正確には「シェイクスピア“の”グローブ座」というが、当ブログでは主に「グローブ座」「ロンドンのグローブ座」と呼ぶことにする。

ストラットフォード・フェスティバル(カナダ オンタリオ州 ストラットフォード)
同名のシェイクスピアの故郷とは関係ないが、町の名にちなんでシェイクスピア作品を上演するフェスティバルを開催している。60年以上の歴史を誇る。記事内でわたしが「ストラットフォード」と言う場合、それはシェイクスピアの故郷ストラットフォード=アポン=エイヴォンではなく、ほとんどの場合、このフェスティバルを指している。

ナショナル・シアター(国立劇場、ロイヤル・ナショナル・シアター)(イギリス ロンドン)
上演作品は幅広い。シェイクスピアから現代の作品まで。

 

また、特別オンライン公開は無かったと思うが、イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの短い動画も紹介するかもしれない。

 

『シェイクスピア 死の シーン』と名付けた連載は、第1弾から第6弾ぐらいまで続くことを想定しているが、本当に執筆するかどうかはスズキの気力と気分次第。

まずは、第1弾『ハムレット』が完成したので、明日から3日間連続で公開したい。

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